歌集『倭をぐな』 – 釈迢空

この記事では、現代短歌PD文庫の一つとして釈迢空(折口信夫)の歌集『倭をぐな』の全文をHTMLで提供するものです。

底本情報

  • 底本:歌集 倭をぐな <短歌新聞社文庫>
  • タイトル:倭をぐな
  • 著者:釈迢空(1953年没 > 2004年公有化)
  • 出版者:短歌新聞社
  • 出版年月日:1999年(平成11年)12月28日

初出は次の通りです。

  • タイトル:倭をぐな
  • 出版者:中央公論社
  • 出版年月日:1955年(昭和30年)6月30日

倭をぐな

倭をぐな

長夜の宴

長夜の宴

あぶら火

油火アブラビをともしつらねて 昼の如あそびし人も 過ぎにけるかも

底ひろく雪のけしきをつくらせて、遊び飽かねと 人はなげきし

たのしげに伝道をする道のべに、若き心は 悲しまざらめや

年暮るゝほど

風の音は 四方にさやらず響くなり。あはれ はるかになり行きにけり

夜ふけて 村ある山をくだりたり。カワきごゝろに、渓に近づく

道ばたの冬の菫の、咲き難き微紫ホノムラサキを 見すぐさむとす

静かなる庭

浜の道 ひたすら白し。羽咋辺ハクヒベへ 人ゆかなくに とほりたりけり

松の風 しづかなりけり。静かにてあれとおもふに、あまりさびしき

里びとも 踏むことはなし。草荒れて さびしき道の 浜にとほれり

しづかなる家にかへりて、たそがれの庭苔にふりて かなしむらむよ

たぶの木の ひともと高き家を出でゝ、はるかにゆきし 歩みなるらむ

雪すでに深く到りて、しづかなる日ごろとなれり。たのしまなくに

ゆくものは つひに音なし―。気多の浜 砂隠スナゴモりたつ つく〳〵しのむれ

子を寝しめ ツマをねしめて、灯のしたに思ひし心 かなしかりけり

も 我も いまだは若し。よき家を興さゞらめやと言ひし 人はも

春すでに深しと言へど、たまつばき ともしく散りて、つぎては咲かず

羽咋の海 海阪晴れて、妣が国今は見ゆらむ。出でて見よ。子ら

故宮の草

故宮の草

山海関

車站シヤタンの外は たゞちに土の原―。煙の如く 人わかれ行く

北京 紫禁宮

かそけくて 一代ヒトヨ終へたる宮びとも、生けるその日は 人をころしき

フル宮に聴けば 過ぎ行く風の音―。日は暑くして、浅きくさむら

秋の空晴れて澄む日は、いにしへの宮女キユウヂヨの歎き 思ほえにけり

固安県 石各荘

ひたぶるに ヰノコさいなむ子らの声―いつまでも聞きて、つひに驚く

望楼は 藜の原に霞み見ゆ。「腕につゝ」して 歩哨うつれり

北京城外

草の原。子ども近より遊ばねば、空しくひらく とうちかの穴

北京より南京に向ふ

済南の空にのぼりて、軍票の細長き感じ 暫らく去らず

山東の空高く 行くわが心―泰山と並び、孔廟を見くだす

さびしげに 曲阜キヨクフの木立ち見ゆれども、空より行けば、をろがまず過ぐ

ひろ〴〵と 安徽の空にひろごれる雲の上より 見る山もなし

南京

我の如 その身賤しく、海涯カイガイに果てにし人も 才を恃みぬ

ミンに さびしきみかどぎにけむ―。シハブキしつゝ 叢を行く

蘇州

乞食コツジキの充ち来る町を歩き行き、乞食の屁の音を 聞くはや

杭州

満水期の西湖の岸を我が捗り―、こゝに果てにし命を 思へり

飯店ハンテンの牕のがらすに ヌカ冷えて、西湖のオモの 白みそめつゝ

沓のまゝに 部屋に入り来て、我がねむる牀にのぼれば、日ごろさびしき

いにしへに 戦ひ負けし人の廟―。国やぶれたる野にそゝり 見ゆ

怨敵ヲンテキや 岳飛のために 誰ならむ。詣で来たりて、おのれあやしむ

銭塘江

たゝかひの日にくづしたる 石垣の荒石群アライシムラや―。民は還らず

兵隊は 若く苦しむ。草原の草より出でゝ、「さゝげつゝ」せり

嘉興

四等車の二階にねむり 青空を眺むる人は、憂ふるらむか

やぶれたることはさびしも。やぶれたるゆゑこそ 人は争はずけれ

我が乗りておちつき居るを ことゝせぬ支那人の顔 時に峙つ

新聞を見せよと言ひて 読みあぐる支那人に向きて、ねむりつゞけぬ

やまとをぐな

春洋出づ

春洋、わが家に来たり住みて、ことしは十五年なり

老いづけば、人を頼みて暮すなり。たゝかひ 国をゆすれる時に

たゝかひに 家の子どもをやりしかば、われもひとり聴く―。衢のとよみを

おのづから いさみ来るなり。家の子をいくさにたてゝ ひとりねむれば

ひとり居て 朝ゆふべに苦しまむ時の来なむを 暫し思はじ

さびしくて 人にかたらふことのはの、ひたぶるなるを 自らも知る

たゝかひに立ちゆきしノチ しづかなる思ひ残るは、善く戦はむ

いとほしきものを いくさにやりてノチ、しみ〴〵知りぬ―。深き聖旨ミムネ

   *

将軍の書き遺したるフミのうへに、書き難かりし恩愛を 感ず

ますら雄は 言揚コトアゲよろし。アタびとの命をすらや 惜しと言ふなり

はるかなる内木成美に与ふ

手榴弾の 腰にとまれる戦ひを―おもしろげにも 告げおこすなり

の二時にめて たやすく寝ねがたし。しみて思ふは 一とせぶりか

建夫、土佐に帰る

知り人は みな散り〴〵になりゆけど、老いづきて思ふ―。生けるはたのしき

飆風

篤胤百年祭

大きこゑ 迅風ハヤチのごとし。声すぎて耳さやかなり。もゝとせのゝち

モヽ年の霊神ミタマと 具足ソダりたまへども、はるかに聞ゆ。神哮カムタケびのこゑ

   *

わかき時 わが居し部屋の片すみに照りし鏡は、くだけつらむか

ふるさとにひとり来たりて わが故家フルヘたゞ在るさまを見て かへるなり

青びれて しげ〳〵我を見そ。高笑ひをぞ今はりする

我がなじみ 作者 うたびと―おほかたは しみじみと 世をかたることなき

いきどほろしきふるまひを こらへをふせたり。国はたゝかふ くには戦ふ

厳冬に向ふ

刈りすてゝ 年かはりたる庭萱のおどろの上に、日はあたり来ぬ

照りはたゝく今年の夏は、汗垂りて静かに居りき。冬も恃まむ

ことし早 冬のたのみのすべなきに、炭俵をくづし 炭散乱す

航空機のはためき過ぐる闇のそら ふしどの我は、をろがまむとす

たゞ一人遊ぶ者なき国のうへに、おのづから よき春は来たりぬ

有田盛宏、糸島へ帰る時に

筑紫びと 国にかへると心きめて のどかならむと われはよろこぶ

やまとをぐな

あなかしこ やまとをぐなや―。国遠く行きてかへらず なりましにけり

青雲ゆ雉子鳴き出づる 大倭ヤマトべは、思ひ悲しも。青ぐもの色

わが御叔母ミヲバ 今朝の朝戸にわが手とり、や ますら雄の手と なげきけり

来る道は 馬酔木アシビ花咲く日の曇り―。大倭に遠き 海鳴りの音

尾張には いつか来にけむ―。をとめ子の遊べる家に、このゆふべ居り

をとめ子の遊べる見れば、心いたし。をとめといまだ 我は遊ばず

我が呑まむみかと問へば、娘子ムスメゴのかざすウキ いよゝ揺れつゝ

娘子の立ち舞ふ見れば、くれなゐの濃染コゾめの花の 裳のうへに散る

をとめ子の 今朝の浜出ハマデに言ひしこと いつか来なむと 言哭コトナきにけり

をとめ子のいねしあひだに出で来しが―、さびしかりけり。ぬすびとの如

子をおもふ親の心の はかりえぬ深きに触りて、我はかなしむ

熱鬧に住む

家常茶飯

いにしへの淡海アフミ置目オキメ―。いにしへも 古き知識は、尊まれけり

国学の末に生れて、かひなしや―。人と争ふすべを忘れぬ

この日ごろ ほしきまゝにも遊ばねば、怠らずてふことも さびしき

夜深く起きて 勤しむこともなく、我の盛りは おほよそ過ぎぬ

堪へがたき肩のいたみに ものぞ思ふ。うち叩きつつ ひとり悲しき

あはれよと 我ををしめる人のまへ 遠ざかり来て、安けくなりぬ

大空をとよもしてゐる 風の音。我は 今宵を かがまりて寝る

ともだちの既に 少く住み残る町のそがひを 過ぎて来にけり

この頃、歌の先人の頻りに恋しきに

とぼしかる游学費より さきし金―師にたてまつり、あまりわびしき

歌よみの竹の里びと死にしより 五年のちの畳に すわる

歌よみの左千夫の大人の前に居て、おさへがたしも。タカブり心

歌人は 皆かたくなに見えたまふ。左千夫の大人 躬治モトハルのうし

伊豆の翁

村びとに 物くれありく年よりも この霜朝を 起き出でつらむか

老いびとの おいけてするふるまひの おもしろきをも 聞きてなげきつ

わが家の大き祖母オホバの れしノチ、日々をすわりて居し姿 見ゆ

韮山の穂積のいの 老い呆けてせし如 世をば たぬしくて経む

そのヒト代 ひとの心を抂ぐることなかりし人も、老いて呆れにし

松かぜ

ちゝのみの父をおくりて来し山の 土に聞ゆる松風の 音

ちゝのみの父をはふりて くだる山―。鳴き立つ鳥の声 ひゞくなり

しづかなる春なりければ、喜びの身にひゞきつゝ 言ひにけらしも

小泉氏の喪

いにしへの大き聖も、年たけて子を先だてゝ なげきたまひき

三矢先生二十年祭

しづかなる境に 君はいませども、きこしわくらむ。国おこるとき

廿年にそだりたまへる神にむき わがまをすこと かくも幼き

この国のもとつをしへのおこるとき―、師が名をおこすことも 我がなき

六月五日

あやまてり。我若人をみしつと 言ひにし君も、花の如く散る

空深く 水無月五日曇れども、心ほがらにもちて シノばむ

熱鬧に住む

ことし、夏早く、那須霊巌寺に行く。―加藤祐三郎、同行

われや斯く 人にもの言ひすがしきか―。宿徳シウトク僧と 幾時を居り

那須の寺 ふた夜やどりしあけの朝 きつゝき叩く靄に まかりぬ

波多郁太郎死ぬ。知りそめて二十年近かるべし

いたづらに 病ひに果てし若き命を よべも思ひき。今朝のはかなさ

雨ふり、日照り、時にかなへど、而も、いと乏しき一夏なりき

半日の暇のたふとさ。思ひ居し斎藤茂吉の集を 読みとほしたり

春洋、再出づ

朝ゆふべながむる庭は 秋さびて、松かは毛むし 荒し過ぎたり

   *

ひたすらに堪へてもいませ。のこる世に 我を思はむ君と たのむに

昔恋

あらた代の 明治の御代の民として ありしことこそ、かしこかりけれ

虔々ウヤヽヽし。身は草莾クサカゲに住み〳〵て、ひじりの三代ミヨにあへらく 思へば

勇みたつ 若代ワカヨの民のさわやけき心を思ふ。身は老いぬらし

慶賀

うつくしきめをの神と讃へなむ。あまりスガしきウツし身にます

はるけき空

ひと日の後

しづかなる夕ぐれどきを ほの〴〵と 眼底マナソコ昏く フミかきつげり

さびしくて、さびしき人らのつどひるところをきて来にし 我なり

ハヤ ワカき人とかりにも謂ひ難き齢になりて、人をかなしむ

絶え間なく 人に読み説き、忘れ居つ―。万葉集マンネフシフの清き しらべを

もの音のたゝぬ午後なり。時として 瓦斯管などは、に出づるらし

優越

沓下に入りたる蚤を 朝明より感じゐて、ひと日忘れをふせぬ

歌書きて 歌を知らざる人に見す。凡 さびしき喜びに 餓う

我がヨハヒ いたづらに斯くひさしきを 悔いざらめやも―。若きは よろしき

死ぬることかへる如しと 古人フルビトも ウベ言ひにけり。若きは よろしき

はるけき空

はるかなるこだまの如し。我が子らは よくタケびつつ 静かにぞをる

日の本のやまとをとこの みじかくて 潔きことばは、人を哭かしむ

西角井正二をいはふ

ひとやしき けやきのもみぢうつくしき 秋はればれし。こゝにつまよぶ

川島浄染 応召す

南無大師 みこゝろふかくおはすらむ。ノリの師 君の召されたまへり

人のうへ

ふる里に 老いをあづけて、年かはる春の旦に 思ひつゝ居り

千樫十三年忌も過ぎぬらむ

ひむがしの安房の郡に 還るべきその人失せて、家も焼けたり

父母の住みにし家に 還らまく、病みクジけたる心かなしも

北白川宮の御うへを聞く

かく遠き胡地コチを もろこしびとすらも言ふことなかりき。そこに かむさる

白じろと 粉米コヾメの如く 地につける花ムラのうへに たふれましけむ

   *

管群スガムラの白く乾ける 川辺より引き返し来て、人と争ふ

人知れず 裸形仏ラギヤウボトケをいつきたる 鎌倉は今は遠き跡なり

戦ひを知らず過ぎ行きし人のむれに、古泉千樫を思ひ浮べつ

年どしに 咽喉ゑごくして、憂き冬や―。こたつを出でゝ 水をりする

いら〳〵しく 人を憎めり。胸ひろくあらむとすれど、今は倦みたり

春寒

疎開

ふるさとのやどもうつらふ―。この日ごろ見て還り来て、我は ひそけき

老いぬれば、ふるさと人のかそかなる心おどろき、家居をうつす

食ひ物のありあまる日は、軒に来る鳥 けだものも、あはれに思ほゆ

夕空にみだるゝ虫のかげ見れば、春寒ハルフユ近く なりにけらしも

こゝろよきつどひのゝちに、たゞ一人 日ざし冬なる道を かへりぬ

三月某日夜、品川駅歩廊にて

この国のたゝかふ時と はしきやし 若きをとこは、堪へとほすらし

若き人のひきはたかれて在るさまを 見つゝ堪ふるなり。われもクヤしき

わが肌に響きて カラし。たなそこは 若き彼頰カノホに 鳴りにけるかも

守雄来たる

わが家居 やゝにたのしも。二人ゐて もの言ふ数の 少なけれども

硫気ふく島

たゝかひのたゞ中にして、
我がために書きし 消息
あはれ たゞ一ひらのふみ―
かずならぬ身と な思ほし―
 如何ならむ時をも堪へて
 生きつゝもいませ とぞ祈る―

きさらぎのはつかの空の 月ふかし。まだ生きて 子はたゝかふらむか

   *

ワタなかの島にたつ子を まガナしみ、我は撫でたり。大きかしらを

たゝかひの島に向ふと ひそかなる思ひをもりて、親子ねむりぬ

物音のあまりしづかになりぬるに、夜ふけゝるかと 時を惜しみぬ

かたくなに 子をれて、みどり子の如くするなり。歩兵士官を

大君の伴の荒夫のスネこぶら つかみでつゝ 涕ながれぬ

   *

横浜の 片町さむき並み木はら。木がらしの道に 吹きまぎれ行く

こがらしに 並み木のみどりとぶ夕。行きつゝ 道に 子を見うしなふ

   *

あひ住みて 教へ難きをくるしむに 若きゆゑとし こらへかねつも

彼岸ごろ

英雄、中支那に向ふ

彼岸ぞら きのふにかはるきびしさに 歯をかみてわかる。言ふこともなく

戦ひにいでたつものを などせむに 心うごきの わたくしならず

野山の秋

昭和廿年八月十五日、星坐して

大君の宣りたまふべき詔旨ミコトかは―。シカるみことを われ聴かむとす

戦ひに果てしわが子も 聴けよかし―。かなしき詔旨ミコト くだし賜ぶなり

大君の 民にむかひて あはれよと宣らす詔旨ミコトに 涕嚙みたり

野山の秋

故旧とほく疎散して、悉く山野にあり

ふるびとの 四方に散りつゝ住むさまも 思ふしづけさ―。すべのなければ

八月十五日の後、直に山に入り、四旬下らず。心の向ふ所を定めむとなり

ひのもとの大倭ヤマトの民も、孤独にて老い漂零サスラへむ時 いたるらし

野も 山も 秋さび果てゝ 草高し―。人の出で入る声も 聞えず

おしなべて煙る野山か―。照る日すら 夢と思ほゆ。国やぶれつゝ

しづかなる山野ヤマノに入りて 思ふべく あまりにくるし―。国はやぶれぬ

道とほく行き細りつゝ 音もなし―。日の照る山に 時モハら過ぐ

ひとり思へば

畏さは まをすゝべなし―。民くさの深きなげきも キコしめさせむ

老いの身の命のこりて この国のたゝかひ敗くる日を 現目マサに見つ

   *

戦ひに果てにし者よ―。そが家の孤独のものよ―。あはれとオフ

勝ちがたきいくさにはてし人々の心をぞ 思ふ。たたかひを終ふ

悲しみに堪へよと 宣らせ給へども、シカる声も、哭かし給へり

たゝかひは 過ぎにけらしも―。たゝかひに モトモ苦しく 過ぎしわが子よ

思ひを次の代によす

今の世の幼きどちの生ひ出でゝ 問ふことあらば、すべなかるべし

けて 子らよ思はね。かくばかり悔しき時に 我が生きにけり

いちじるく深き思ひは 相知れど、語ることなし。恥ぢに沈めば

   *

飲食オンジキの腹をヤブらぬ工夫して たゞゐるいに、国はやぶれぬ

今朝ケサの二時に寝ねつゝ 起き出でゝはたらく朝は、昼に近しも

長夜の宴の如く遊ばむ

戦ひに負けし心のさもしさを わが祖々や 思ひだにせし

いからじと堪へつゝ居れば、たのしげに 軍艦まあち をはり近づく

まふらあを空に靡けし 飛行機のをみなをぞ思ふ―。たゝかひのゝち

   *

思ふ子はつひに還らず。かへらじと言ひしことばの あまりまさしき

茫々

心深き春

睦月空 昼と凪ぎゆく明るさに、カド出でゝ見る 春のさびしさ

目のカギリ 本所深川―。青々し―冬菜の原に晴るゝ 初空

み空より降る光りに 目くるめき いつまでかあらむ―。春到りけり

睦月たつ。たゞに明るき真昼凪ぎ―。祝言人ホカヒトモも 門にうたはず

かにかくに 戦ひ過ぎぬ。国々の祝言人ホカヒノボれ。年祝トシホぎのため

しづかなる春 昼過ぎて、三河島 千住の空に ひかる淡雪

しづかなる春を つゝしみ暮すなり。さびしとぞ見る―。歳棚トシダナの塵

夢の如 思ほゆるかも。日の光り あまりしづけく 年かはりぬる

幼児ヲサナは、春をしみゝに遊ぶなり―。見つゝ 涙のあふれ来るはや

たゝかひの果てのさびしさ―。睦月たち 身にしみて思ふ。春のしづけさ

   *

よき春の来向ふごとし。直土ヒタツチに額づきて思ふ。世のやすけさを

いさゝかも 民の心をやぶることなかりし君も、おとろへたまふ

春来たる。焦土の岡の青き枝 細葉散り来ぬ。庭の浄きに

大八州 春の光りはみち来たる。新しくして 身に沁む光り

春来たる。やぶれしことのすべなさも 言には出でず ひたぶるに居む

春茫々

睦月立つ―しづけき春となりにけり。国おこるべきことはかり﹅﹅﹅﹅﹅せむ

夢の如 思ほゆるかも。悔い深き年も かそけく過ぎにけらしも

還ることなしと思ふ心さだまりに、この頃さびし―。人に愁訴ウレへず

ある時は たゝかひ果てゝかへり来むよろこびをすら言ふを おそれし

情報局に招かれて

一介の武弁の前に 力なし。唯々ヰヽたるかもよ。わが連列ツラの人

たけり来る心を 抑へとほしたり。報道少将のおもてに 対す

   *

池田弥三郎、復員

ぼた脚をふみて還りて あぐらゐる畳の上を 疑はむとす

あめりかの進駐軍の弁当と 言ふを食ひしが 涙ながれぬ

日の光り

春やゝにとゝのほり行く 山川のしづけき見れば、国はほろびず

息づけば 遠きこだまのこたへする あまりしづけき春 いたりけり

をさな子の遊べる家の ニギハへるとよみを聞けば、国はほろびず

双方フタカタに 子ども分れてたゝきあふ 空手ムナデのいくさ見れば、くるしき

をとめらも をとめの母も、春ごろも 著つゝを遊べ―。あまりさびしき

中学の子も あげつらふ新聞紙―。文字書くことの 憂鬱イブセくなりぬ

公報いたる

たゝかひは永久トハにやみぬと たゝかひに亡せし子に告げ すべあらめやも

淡雪

あは〳〵し 今朝の淡雪ハタレに行きあひし進駐兵と もの言ひしノチ

雪はるゝ朝の天気のほがらなる わが心しばし ものは思はじ

たゝかひは あへなく過ぎぬ―。思へども 思ひみがたき時 到るらし

我が心 サキナみて居む―。人みなのほしいまゝに言ふ世と なりにけり

たゝかひに果てし我が子の 目をひて 若し還り来ば、かなしからまし

還り来にけり

国おとろへて、なほ若き命を存す。今は、おんみ等の為に、たゞ春の到ることを告げむ

かつ〴〵も命まもれと 別れにしかの日も遠し―。還り来にけり

なげきつゝ行き散りし日を 夢の如思ひ見るらし。かへり来にけり

春の風三日ミカ吹きとよむ窓のうちに、書よみくらす。還り来にけり

焼け原に春メグり来る きさらぎの風の音きけば、死なざりにけり

春遅き焼け野の木群コムラ うちけぶり、まざ〳〵見ゆる 伊皿子の阪

いさぎよき最期の姿思ひみて 親はなぐさむ。なかざらめやも

―辻健吾に

痩せ〳〵て 海のをちよりかへりしを―。よろこぶわれも、うらぶれにけり

―荒井憲太郎に

山の葉のわかやぐ村に かへりゐて、つく〴〵に思ふ。われは死なざりき

―市川良輔に

静かなる音

静かなる音

あさましき都会となりぬ。其処ソコに住み、なほ悔い難きものゝ はかなさ

つば低く帽子を垂れて、近々と 我をマモれるものにぞ 対す

次のに残さむすべてを失ひし 我が晩年イリマヘは、もの思ひなし

あへなくも たゝかひ過ぎぬ―。思ふ子を得ずなりしすら 思ひ敢へなく

思ふ子は 雲居はるかになりゆけり―。去りゆけりとぞ 思ひしづめむ

たゝかひに果てし我が子を かへせとぞ 言ふべき時と なりやしぬらむ

たゝかひに果てし我が子の 還り来し夢を語らず。あまりはかなき

戦ひにはてしわが子と 対ひ居し夢さめてノチ、身じろぎもせず

   *

しつけよき犬を撫でつゝ 狎れがたし。この犬も 我が喰ひブンを 

よきキヌをよそほひてだに 居よかしと思ふ。笑へるをとめを見つゝ

をみな子の身体髪膚ハツプ ちゞらかす髪の末まで 親をみする

たゞ今宵いねて行けよと 復員の弟子を泊めしが―、すべあらめやも

みんなみの遠き島べゆ 還り来し人も痩せたり。われも痩せたり

春雪

うらぶれて 剽盗ヒハギに堕つる民多し。然告ぐれども、何とすべけむ

春深くなりゆく空に しみ〴〵と 飛行機とよむ―。あはれ 飛行機

三月に入りて 比日ヒゴロを雪来たる。思ふ―今年も るところなき

をみな子のふみ脱ぎ行きし 雪沓を 軒に出しぬ。雪にウモれよ

極月、新劇団の人々合同しての公演あり。まことに、久闊の思ひに堪へず。而もその演目の、ちえほふ﹅﹅﹅﹅氏の優作なるにおいてをや

たのしみに遠ざかり居て もの思へば、桜の園に 斧の音きこゆ

東吉・土之助より我童を経て、仁左衛門をつげる十二代目松島屋、見はじめて五十年を踰ゆ

国敗れたる悔いぞ 身に沁む―。なまめける歌舞妓びとをすら ころすなりけり

月僊筆「桃園結盟図」を聯ね吊りて、凪ぎ難き三年の思ひを遣りしか

たゝかひのホドをとほして 掛けし軸―。しみ〴〵見れば、塵にしみたり

たゝかひに果てしわが子の、ゆくりなく生きて 還らむこと、な言ひそね

たゝかひに果てし我が子の、謂ふ如く 囚はれ生きてあらば、いかにせむ

たゝかひに果てしわが子の、我が為と、貯へし銭 いまだスコしき

遊び

わたる日の春となり来る光りすら 沁々シミにたのしむこと 忘れゐつ

しづかなる日なたに出でゝ 遊びゐる 鳥 けだものゝ心 こほしき

うるはしき恋ごゝろもて、ものを言ふ若人もなき 春のさびしさ

やまと恋

 ―おなじ長歌の反歌

たはれめも 心正しく歌よみて 命をはりし いにしへ思ほゆ

をとめ子の清き盛時サカリに もの言ひし人を忘れず―。世の果つるまで

道のべに笑ふをとめを憎しみが―、アクタつきたる髪の あはれさ

   *

ひるのほど よもぎもちひをくれゆける 人をしぞ思ふ―。ともし火のもと

ともし火のもとに ひとりは居りがたし―。よもぎ香にたつ もちひたうべて

まれびとも くりや処女もよびつどへ、手に〳〵渡す。よもぎもちひを

なには人に寄す

浪花びと呆れつゝ遊ぶ 春の日の住吉詣で 見むよしもなき

なにはびと紙屋カミヤ治兵衛ヂヘヱの行きし道 家並み時雨るゝ 焼け野となりぬ

うつくしく 駕籠カゴをつらねて過ぎにしを 思ひつゝ居む―。十日戎を

   *

としたけて 朝げ夕げにくるしむと 我を思ふな。さびしかるべし

たぶの木の門

昭和廿一年、春洋の生家に滞留した。能登の桜も、おほかたは散り過ぎるころ―

過ぎにしを思はじとして わが居れば、村しづかなる 人のあしおと

さう〳〵と 雨来たるなり―。森のなか 古木の幹を伝ひ来るもの

見る〳〵に 羽咋ハクヒの方ゆ 音立てゝ、はまひるがほに 降り来たるなり

金沢歯科大学生矢部健治君は、もと春洋の部下であつた。島を出た最後の船で、送り還された一人である。

みむなみの硫黄が島ゆ 還り来し人を とふなり―。北国の町に

からかりし島のいくさに まだ生きて在りしわが子に 別れ来にけり

日を逐ひてきはまり来たる島いくさ―。そこに わが子も まだ生きて居し

言毎コトゴトに深くうべなふ―。島いくさ亡ぶるホドの 人のたちゐを

氷室氏の一族、多く亡びて、姉妹たゞ二人、信州諏訪に住むを聞く

藤の花 女はらから住む宿に 咲きてありなば、たのしからまし

ある弟子の妻に

わが処女 すでにしづかになりにけり。あなあはれよと 見つゝ居れども

石上布都代、初誕生の祝ひに来たる

いと苦しきいくさの末に、生れ来しの子の一世さきはへ給へ

朝花

鄙の湯

春の日にあたる叢 しづかなるそよぎの音も 聞き過ぎがたし

いにしへの筑摩ツカマの出で湯 鄙さびて、麦にまじる 連翹の花

南に 尾をひく山の末とほし―。霧捲き来たる 赤松の丘根ヲネ

れ〴〵と 林檎の歌をうたはせて、国おこるべき時をし 待たむ

国やぶれて 人はあらがふわびしさにそむきてをれど、見え 聞えつゝ

夜ふかく ほむらをあげてとほるなり。牕にせまりて 大き汽車過ぐ

みむなみの遠き島より 還り来し人はれたるまゝに 時行く

雪と谷うつぎと

越後北蒲原郡出湯デユ温泉、二瓶武爾方にやどる

出湯の村 雪の下より行く水の 音に立ち来る昼の、明るさ

出湯の村 湯宿も 小家百姓コヤケビヤクシヤウも、雪のなかより 煙をぞ立つ

ヨル 深き雪踏み分けて来る音す―。あまりに 人をこひしと思ふに

屋根高き雪をおろしてゐる人に もの言ひかけて、またうつゝなし

良寛をおもふ日など

年たけて還り来し わがふる里は、冬長くして、山もま白き

二瓶氏長女陽子、嫁ぐ

をとめづま 花と匂へる後姿ウシロデに、親はよろこぶ。なかざらめやも

屋敷川音すみて 春たけにけり―。うつぎ 山ぶき こも〴〵下る

田阪誠喜、新潟にあり。昔、薩摩に赴任せし時の送別の歌とて見す

春山と こずゑ繁みゆく玖磨の山―。越えて行く子を 悲しまめやも

朝花

草の露しとゞに 明けてすが〳〵し―。起きか別れむ。合歓の朝花

仰ぎ見る しづけき塔の片壁に、朝日あたれり―。あはれ 鐘の

かゝはりもなきが はかなし―。しみ〴〵と 羅馬かとりつくの寺の鐘 鳴る

やはらかにタラふ睡りは、大きくて たゞすなほなる犬とこそ 思へ

目ざめ来る昨夜ヨベのふしどの あはれさは―、枕にへる 昼貌の花

やはらかに睡りし程ろ 我が髪を嗅ぎて行きけむ―。大き白犬

叢の深き夜さめて、停りゆく遠き電車を 聴きし我なり

あかしやの垂り花 白く散り敷けば、思ひ深めて 道をくだりぬ

   *

そらにみつ 大倭ヤマトの恋の趣致アハレさも、国やぶれては、かひやなからむ

ま裸になりて踊れど、わがをどる心にふりて とふ人もなし

ある日 かくて

ゆくりなく 塩屋連鯯魚ノムラジコノシロと言ふ名聯想ウカびて ゆふべに到る

たゝかひに果てし我が子は 思へども、思ひ見がたし。そのあとゞころ

戦ひにはてし我が子を い泣けど、人とがめねば なほぞ悲しき

たゝかひにはてし我が子が 夥多カズの歌―。ますら夫さびてあるが はかなき

戦ひに果てしわが子のおくつきも 守る人なけむ―。わが過ぎゆかば

たゝかひに果てし我が子の墓つきて、我がなげく世も―、短かるべし

わが子らの ゆきてかへらずなりしをも 人と語れば―、たのしむごとし

   *

しづかなる空にとよみて ゆきにける飛行機も つひにくだりつらむか

をとめ子に 告げずてあらむ―。荒山の鬼の踊りを 見て来しことを

佐渡にわたる

柏崎に宿る

旅にして なほぞさびしき―。道なかに 群れて遊べる町びと 見れば

石地村 形蔵院に向ふ

出雲崎 屋並みせまれる露地深し―。夕日たゆたふ荒海の 波

良寛堂に あそべる小さきものゝ群れ―。子どもと雀 ワカれざりけり

金光女国手の家に宿る。慥爾氏両女の住む所にして、大嬢の夫は、南にゆきて未だ還らず

子どもあまた育つる家に しづかなるあるじのすがた ち来る思ひす

ふるき人 かほもおぼえず。しかれども 覚えあるごとし―。その子を見れば

さ夜ふけて 夕立ち来るに、目ざめつゝ おもふしづけさ―。佐渡にわが居り

青々と 黒木の御所の 草がくれ―。夕立ちすぐる音の しづけさ

   *

真野の宮 砌におつる秋の葉の桂のもみぢ すでに 色濃き

妙宣寺 豪雨のあとの庭 潔し―。ひろく流るゝ 百日紅のはな

のどかなる山をくだりて―、しづかなる寺に降りたり―。その夕庭に

国びとの古きことばの にほはしきひゞきを聞きて、われは かなしむ

山門の石キダのぼり ひゞく庭―。日は高くして 濃き塔のかげ

しづかなる心はいよゝ かなひゆく―。遠き島ねに 君と相見て

赤松のむらたつ空は 昏れぬれど、幹立ちしるし―。真野のみさゞき

赤松のむらたつ道に たゝずみて―、かなしみ深き山を 仰げり

赤松のむらたつ山に さす夕日―。見つゝ歩めり。真野の陵道ハカミチ

最古き教へ子本間朝之衛など、五十は既に過ぎたるべし

若き人のをどるを 見れば、心いたし―。古き手ぶりは 散る花の如

   *

神戸のひとに

ふるき人のさがくだちゆくさびしさも、見つゝおもはず―。年を経てあり

父と母のあらそふを見る日も あらむ―。日々になごみて おやたちを 見よ

古き扉

夏たけて

叢に 薄きくれなゐ見えつゝぞ、藜の茎は れはじめたる

くさむらに 追ひにがしたる虫ひとつ―てんとう虫の、しばし輝く

食ふ物の 日々にともしき夏去りて、清き日ざしを恋ふる日も あり

夏深く 八十叢ヤソクサムラと荒れゆける東京の空 日に日に 変移ウツロ

流離

やつれつゝ 骨ち黄ばむをみな子のを見れば、なほをとめなるべき

うらやましき をとこをみなの物語り―聞くことなきも、さびしかりけり

おそろしき才女と 人に謂はれたるかの女も死にき。火屑ホクヅの如く

国離れ 一栄えて経し人の 還り住めども、齢あまれり

ヌカ越しに我をマモりしをみな子も、ねむりくづれぬ―。神田を過ぎて

ともし火の消えゆく如し。今日ひと日 たのしみ聴きし 清きことばも

「悲しき文学」

いにしへの 生き苦しみし人びとのひと代を言ふも、虚しきごとし

くるしみて この世をはりし人びとの物語りせむ―。さびしと思ふな

静けきに還る

ひたすらに 世の過ぎ憂さを告げに来る 村のオムナを 時に叱りつ

静けさは きはまりにけり。年ふかく 山よりくだる―バタの灰

若者の ひとり〳〵に還り住みて、住みかなふらし。冬となりつゝ

おのづから 棚のもちひの干破ヒワれつゝ―おつるひゞきを 見に立ちにけり

しづかなる春は還りぬ。しづかなる村の生計タツキを かなしまめやも

夜半の音

昨夜ヨベ 酔ひて苦しみ寝ねし夜のほどろ 地震ナヰのより来る音を 聞きしか

のどかにも この世過ぎにし先ざきの平凡タヾびとたちの 思ほゆるかな

ツヒえゆく国のすがたのかなしさを 現目マサメに見れど、死にがたきかも

行く雲

信濃びと、我に屢、疎開をすゝむ。我従はず。空襲、春より秋に捗りて愈熾なるに及び、慂め益、懇ろを極む。然れども我頑なにして、終に其心に随はず。戦ひ終りて後、一タビ其家を訪れて、志深きを謝す。山河の静かなるに対して、そゞろに自ら、我が生の微かなるをあはれむ

静かなる国を罷らむ―。思へども 老いをやしなふ時 なかるらし

老いの世に かくのどかなる山河を 見るがかなしさ―。来つゝ住まねば

たゝかひに果てし 我が子を思ふとも、すべなきことは―我よく知れり

寝つゝ 我が思ひしづまるしづ心 いともかそけく 今はなるらし

こがらしの吹きしづまりに、鳴き出づる背戸屋セドヤのとりの 忽鳴かず

古き扉

一谷嫩軍記見物。大将義経の胸中、思ふべきものあり

熊谷の次郎のがれて去りしノチ、須磨のいくさの、むなしかりけむ

大学の研究室に 干破ヒワれたる名札をかけて、忘れなむとす

遠つ世のあはれを 伝へし我が学問も、終り近づく

せゝらぎ

かず〳〵のおとづれ人を かへしたるゆふべを対ふ木々の―おぼめき

さま〴〵の人にあひつゝ 疲れたる心にのこる 清きひとすぢ

うちつけに 清き心を告げゆきし 人を送りて、また人にあふ

静かなる清水のごとし―。うや〳〵し 清き若さの 語少コトズクナなる

穢き土

国やぶれて やぶれしまゝに興り来るきざしをも見ず―命過ぎむか

百姓のおごれる村を あるき来て―野山に通る道の サヤけさ

はるかなる野山に散りて住む人も みな 老いぬらし―。冬深きころ

み冬つき 春来む日まで いかさまにあり経む身ぞと 思ふ―。ことしも

いのちなりけり

石上順、還る

わたなかの島に とかげを食ひつくし なほ生きてあるを おどろきにけむ

なにのために たゝかひ生きてかへりけむ―。よろこび難きいのちなりけり

憲太郎、長男「諱」出生のことを告ぐ

くるしみて生くる世に、汝はおひ出でゝ ふかく知るべし―。ちゝはゝの情を

和田正洲、また比津賓より復員す

たゝかひ過ぎて二年の後 かへり来しナレよ―。まさ目に 国のすがた見よ

高階広道、病いよ〳〵篤し

み空とぶ船よりくだり来し汝の 少年の頬は おとろへにけり

梢子七つ、匣子六つ

生みふえて、居る処なく遊ぶなり―。子ども 日ねもす 庭草にまじる

大晦日、池田金太郎に寄す。弥三郎執達

世は春に いよゝたのしくなりゆかむ。いのちまもらへ わが父も さね

「遠つびと」発行者に贈る

なまよみの 甲斐の三千子がよみし歌 十まきはた巻 あはれ 恋うた

淡雪の辻

寂けき寿詞

春到る。しづけき春か―。かにかくに 年の寿詞ヨゴトを 聞えあぐべき

われひとり 覚めてしはぶく―。しづかなるかの鶏の音も ひゞき来にけり

みむなみの常世トコヨの島の くるしさも 言ふことなかれ―。春はたのしき

あたらしき年は来向ふ―。思へども、老いぬれば 心おどろきもなし

睦月の声

しづかなる睦月の空の 晴れとほり、とよもし過ぐる飛行機も なし

鵯の鳴く声聞ゆ―。ひよどりは 一峰ヒトヲを越えて 鳴き過ぎにけむ

村ひとは 四方ヨモに光りて雪高き 朝戸を開く―。歳のアシタ

   *

おほみこと マサウツしく宣りたまふ―。かむながら 神にオハさず。今は

水の面の春

むなしさに 遠くわが来つ―。隅田川 水の面の春の、目に沁みにけり

子を生みて家をのがれし をみな子も、さびしかるらし―。春立つこの頃

神々の心おもほゆ―。日高見の国おとろへて、地震ナヰさへふるふ

家々のともしき春を見つゝ来て、下笑ましくも 我が居りにけり

しづかなる春は 来向ふ―。門松の ともしく立つが、かなひつゝよき

冬の光り

歩み入る小路の奥ゆ オラぶ声―。あはれ 子どもゝ安からなくに

みなぎらふ冬の光りの 昼深く あたゝまりなし―。子らの鳥膚

うちあぐる声 け〳〵し―。人知らぬたのしみを 早 子らは知りたり

み冬つき 春来なむ日を思へども、生き膚こほり 今日も わが居り

   *

はるかなる野山に住みて 散りぢりに 音絶えゆきぬ―。年の寒きに

昭和二十二年元旦

行くへなくなりし昔の人々の かそけきあとを 思ふ―。むつきに

たはれびと たはれ遊びし一代へて さめいでなば、さびしかるべし

ゆくりなく ひゞくものかも―。除夜の鐘―。かの鐘や からく残りたりけむ

日本の国 つひにはかなし。すさのをの昔語りも 子らに信なし

けふひと日 人の来たることなくもあれ。疲れ〳〵て 元旦にいたる

画報の写真に添へて

山の鬼 里におり来て舞ふ見れば、しみゝに 春は到りけらしも

―豊橋鬼舞

南部嶺のみ雪 おもほゆ。鈴かくる馬を乗りつゝ ゆきし子ゆゑに

―盛岡ちやぐ〳〵馬

二月十一日

きさらぎの斑雪ハタレの如し―。しづかなる微笑ヱマヒノチを 心とけ来る

白雪のつみにし山ゆ ほの〴〵と音聞え来ぬ。命めでたく

   *

紀元節に たのしげもなく家居りて、おきなはびとに見せむフミ かく

けふひと日 庭にひゞきし斧の音―。しづかになりて 夕いたれり

淡雪の辻

イサムらは いづく行くらむ―。このゆふべ 寄席ヨセ行灯アンドンの光り しめれり

はなしかの誰かれ 今はぬき出でゝ よくなれりふ―。きゝつゝぞ よき

上総カヅサ水脈ミヲ 青みて寒き朝海に、向きてなげくは、左平次か われか

新内の紫朝シテウ 今宵も死ねよかし―。あまり苦しく こゝろゆすれば

義太夫のをんな太夫も、悲しくば、声うちあげよ―。巡礼歌を

くちなしの鋭きにほひ 高バシの 永花エイクワの客は、鼾立てつも

くつがへるほど笑ひて ひとり出で行きし客の心は、我も 知りたり

曇り空 雪となりゆくほのあかり―蘆州よ。すこし きほひつゝ よめ

とりとめもなく過ぎしわかさを しみ〴〵と 悔ゆるにあらず―。よせのたゝみに

過ぎしの きらびやかさは、清方キヨカタ若絵ワカヱの如し―。すべあらめやも

とりふね

二月十六日、鳥船社の集りに、故高階広道のこと歌に作る者多し。歌の挽歌にかゝれるものを、各々しるしつけて、悲しみの心を表さむとす。あはれ、若き人の心かくなごみて悲しめるときに、死にゆく人のかそけき倖を思ふ

わかき身は、死ぬるいまはも ちゝはゝを あなあはれよと おもひけらしも

井上麁五・七鞘初節共に

男の子ごの こゑたけびつゝ泣きかはす さつきの家の広きにぞ ゐる

池田光の七夜に

孫だきに てゝもはゝごも出でたまへ―。産屋光りて めでたき夕

貞文に

みむなみの とほき島より思ひ来し水の面の色の 深き虚しさ

曙の雨

しろ〴〵と 谷をへだてゝさびしきは、山ちしやの花 またゝびの枝

宿とりて いまだ明るき夕やま路―。甲斐のさくらは またく散りたり

しろ〴〵と きだはし濡れて居たりけり。身延のやまのあけぼのゝ 雨

九十年

―三田新聞に寄す

学問の悠なるかなや―。九十年経つゝ思へば、なほ きはみなし

物毎にうつろひ行けど、学問のいよゝ栄ゆる見つゝし 哭かゆ

昔の卓

碧き午後

昔の卓

金曜日の昼の卓に 咲き満ちて、マドかにむかふ―。紫陽花のアヲ

丸天井に伝ふ光りの なごむ見よ―。かもかくも 歳は 戦ひを越ゆ

生き難き世を 生きとほしてありしこと ヨロコび合へば、悲しくなりぬ

たゝかひの最中モナカワカれ 三年経つ―。かく咲きけるか。紫陽花のはな

行くへなき 炎中ホナカの別れせし日より、泣けてならざる今朝の 紫陽花

生き難く苦しみ生きぬ―。苦しみの極みは 罪に生くるが如し

散りぢりに中に入りて、焼け焦ぐる妻子メコのこゑすも―。生きて聞く声

不逞なる わが願ひごと 悉く満了ちたる今は、何かなげかむ

あぢさゐの花さくころと なりにけり―。雨霧咲きて、静かなる夏

あすたぽぼの夢

のどけさの一の後に ほの〴〵と 遠青ぞらの 澄みゆくが如

若き代の長夜のあそび きら〳〵し―。ほこりし人も、老い朽ちにけり

ひと代シカあそびて 人は過ぎにけり―。ほしきまゝなることは、悔いなき

わかき日の我が悲しみに あづからぬ兄を見つゝも トモしかりしか

遊びつゝ 世をゝはりけむ ありし日も、おもしろげなること なかりけむ

髣髴オモカゲつさびしさや―。こはゞりてすがれしホダの如く 果てけむ

わが兄の臨終に来し のどかなる思ひは、いとも かそけかりけむ

兄の死を思ふさびしさ―。あらそひて別れし日より 幾ばくもなし

とるすといの如く 死なむと言ひにしが―、沁みて思ほゆ。あまり寂けき

とるすといの死の如死なむ―言ひ〳〵て 竟にかそけし。兄を思へば

親を憶ふ

我が父の持てる杖して 打ちたゝくおとを 我が聞く―。骨響く音

わが母の白き歯見ゆれ―。我が哭けば、声うちあげて、笑ひたまふなり

母ありき―。いきどほりより澄み来たる顔うるはしく 常にいましき

母ゆゑに 心イラれに笑ふこゑ 肌にひゞきて、たふとかりけり

姉が弾く琴のツマおと うちみだれ、吹雪と白み 怒る わが母

うるはしき母の弾く手に 習ひえぬ姉をにくめり―。あはれに思へど

常磐津ぶしに、名手絶ゆ

関のに桜散る夜は―目つぶりて に立ちがたき三味を 聴くべし

竟に還らず

ワレどちにかゝはりもなきたゝかひを 悔いなげゝども、子はそこに死ぬ

たゝかひに果てし我が子のおもかげも、はやなごりなし。軍団イクサ解けゆく

たゝかひに果てにし子ゆゑ、身に沁みて ことしの桜 あはれ 散りゆく

戦ひにはてし我が子を思ふとき 幾ほどもなき命 なりけり

たゝかひに死にしわが子の 果てのさま―委曲ツバラに思へ。カラき最期を

たゝかひに果てし我が子の歌 選りて、フミにつくれど、すべあらめやも

戦ひにはてし我が子のかなしみに、国亡ぶるを おほよそに見つ

あさましき 歩兵士官のなれる果て 斯くながらへむ我が子に あらず

愚痴蒙昧の民として 我を哭かしめよ。あまりにムゴく 死にしわが子ぞ

いきどほろしく 我がゐる時に、おどろしく雨は来たれり―。わが子の声か

恥情

数ならで 世のたのしさを知りそめし をとめを見つゝ、さびしかりけり

はるかなるかなや―五十年イソトセ―。思ふすら今はものうし。古びとのうへ

をみな子の とるに足らざる恋ゆゑに、身をあやまつも 見るにともしき

こと過ぎて 夢にまがへり―。かくばかりすべなきものか。人を思ふも

調和感を失ふ

しろ〴〵と 鉄道花の叢に 真直にさがる道を 来にしか

くねりつゝ月浮ぶ夜を ましぐらに 国道を来る汽車 けむとす

道のべに 花咲きながら立ち枯れて、高き葵のアケも きたなし

眉間マナカヒの青あざひとつ 消すゝべも知らで過ぎにし わが世と言はむ

我ひとりちて還らむさびしさを 知られじとして、人知れず去る

わが為は あはれむ勿れ。肩あげて 若き群れより、時ありて出づ

たゞひとり あるかひもなき身なれども、癒えてシヽづく―。誰に告げなむ

犬儒詠

しづかなる夕に出でゝ 人を見る―。やゝ人がほも おぼろなるころ

深ぶかと雨ふりしめて 白き花大き一つ咲く―。背戸の真サヲ

鳴き連れて 天つ雁がね過ぎにけり―。天つひゞきも 絶えて久しき

池ある寺

しづかなる寺のこだちに、ふか〴〵し。おとゝしもなき音は―夕立ち

池の面の おとゝなり来る 朝じめり―。ほの〴〵うかぶ睡蓮の 白

しめやかに まひるをぐらき寺のまど―。蚊やりのけぶり ほのかにぞうく

寺やまに 郭公のこゑとほるなり。ひる あがり来る雨のあかるさ

すいれんの花 昼たけて見に来れば、みぎはに寄りて、赤きひとむら

堪へ〳〵て 起きふしカラく身にぞしむ。たゝかひののち 三年経にしか

はなしつゝ 客もつかれて居るごとし。つく〳〵ぼふし 鳴きたちにけり

辻に立ち ひとの袖ひくをとめ子を 叱るすべなし。国はやぶれぬ

ぬすびとに かたゐに おちず生きむとす。この苦しみを 子どもらも見よ

あきらかに 子どもらも見よ。汝が姉は、銭得るためと 辻にたゝずむ

白玉集

自動車来たる

いとながき雷雨の後の くさむらに、ひよどりじやうご 立ちゐたりけり

しづかなる夜となりにけり。山の家に わが身じろきの おとにたちつゝ

昼ねむく 夜はさめゐて、世のつねの老いびとのごと われはなげきす

秋のくさ おほく苅り積む あめりかの進駐軍の自動車に あふ

あかつきの山よりくだる 鳥のこゑ―。いくむれ過ぎて 起きいでたりしか

那覇びと

沖縄を思ふさびしさ。白波の残波ザンパの岸の まざ〳〵と見ゆ

わが友の伊波親雲上イフアペイチンの書きしふみ 机につめば、肩にとゞきぬ

伊是名島 島の田つくるしづかなる春を渡り来て 君を思ひぬ

わが知れる 那覇の処女ヲトメの幾たりも 行きがた知らず―。たゝかひの後

わが友を知る女あり。つじの町 弥勒をいつく家に 長居す

をかしげに 亡き人のうへを語りつゝ 語り終りて せむ術しらず

老い友の 死にのいまはをまもりたる まごゝろびとを 忘れざるべし

さ夜なかの午前一時に めざめつゝ、しみゝにおもふ。渡嘉敷トカシキのまひ

言問

ほと〳〵と 一銭蒸気くだり行く 見つゝ思へば、時すぎにけり

梅雨ふかき 竹屋の渡し―傘さして 船よりあがる人の、よろしさ

言問の茶屋のそともの まがり道―たゞに見けて 人の恋しく

ウシ御前ゴゼン 言問橋も うつりけり―。移りがたしも。わがフルごゝろ

言問のの春に なげきけむ万太郎さへ 今は見ざらむ

虚国

いさぎよく 我は還らむ。目赫メカヾヤ海彼カイヒの富に おどろしき世に

しづけさはきはまりもなし。虚国ムナグニのむなしきに居て、もの思ふべし

幼きが代を ひたぶるに頼みおく。ほろびな果てそ。我が心鋭コヽロド

乏しきをよしと誇りし いにしへの安らさもなし。命過ぎなむ

のどかなる隠者の世とは なりにけり。葛の花とぶ 鎌倉の風

白玉集

白玉シラタマのごとくたふとし。み仏に とぼしきイヒを 盛りて マツれば

山の木に花咲く見れば、米のいひ 三月四月も 喰はずなりけむ

ものおもひなく 我は遊べど、鳥の如 夜目ぞ衰ふ。米を喰はねば

幼等ヲサナラの、とぼしき糧に喰ひ足りて 遊ぶを見れば、民は死なざりき

朝な夕な 粉にせかへり 水呑みて、くやしくも 我が命生きつゝ

無力なる政事マツリゴトびとらも、我が如く 粉にムセびつゝ まつりごつらむか

米の音 あな微妙イミじよと 死にゆきし 昔咄しも、笑へざりけり

   *

たゞ暫し家を出で来し旅にして、馬の遊べる見るが しづけき

おほどかに睡り入るとき 時雨れ来る音を聞くなり。昨日キソも 今宵コヨヒ

たゝかひに生きのこりたるものがたり―、ひたすら聞けば、涙こぼれぬ

冱寒

いと寒き冬に 入りゆくしづけさを思ひてゐるは、さびしきものを

しみ沁みと寒き夜ごろや―。電灯をつりおろしけり。部屋のまなかに

我どちと おほよそ同じ凡人タヾビトマツリゴつ世に、味気アヂキなく生く

冬寒く 夜はたゞ暗きことわりを 沁みて思へど、まつりごつらし

こゞえつゝ 冱寒ゴカンの闇に固くて、生きてよろしき何事もなし

春遊ぶ

道のべの 最上の子らの唄ごゑは、聞きつゝ 心悲しむらしも

山深き最上高湯の春の日に、馬方つどひ遊ぶを 見たり

篁の鳴る音きこゆ。のどかなる一日の後の さらにしづけき

恋しとぞ ほのかに思ふ。知りがたきコトいひ懸けて過ぎし 子ゆゑに

のぼりつゝ 高湯の村に うらグハし―辛夷の梢 輝くを見つ

陽炎ふ日

根葱抜きて をとめは居たり。さはやけき朝を 目に沁む悔いなかるらむ

岡越えて よくひゞくなり。朝明けのこだまは、遠き村のあたりか

しづかなるいこひをりす。かくみて 雀群立ムラタつ砂の上に居り

鳥 けもの。遊べる園に入り来たり、けうとくゐたり―。春すぐるなり

ひさ〴〵に来て たちまちに去り行きし 信濃びとを思ふ。あまる半日ハンニチ

海のあなた

おほどかに更けふく夜か。起きゐつゝ 年あらたまる鐘のオト聞ゆ

のどかなる海のあなたの消息を ひと日聞かせよ。睦月のらぢお

年毎トシゴトの睦月ついたち とひ来たる姉妹オトヾヒ娘 たのしからむか

くさむらに 日は深ぶかとさしながら、睦月ついたち 粉雪コユキ散り来る

人間の悲しみごとも かつ〴〵に忘るゝ如し。睦月到れば

   *

しづかなる家に わが来つ。こゝ出でゝ遠くゆきけむ人の こほしさ

―塚崎才治郎五七忌

大阪

ほの暗き睦月の朝の騒音の やゝ立ち来たる 大都市に面す

世の中の尊きものを ひた忘れある安けさに―、睦月到りぬ

伊原宇三郎を訪ふ

いにしへの教へ子のとも―。としたけて あへば、わが如 みな老いにけり

さま〴〵に かなしきことをかたらはむ―。かくしつゝ なほ 幾とせの後

わが饗宴

わがうたげ―。歌ふも 舞ふも 琴とるも、ほしきがまゝに 時過ぎむとす

友どちは みな若くして、酒のめば 必泣きし―きよらなる彼

うれしげもなくて過ぎにし。わが若きはたち 三十ミソぢは、花の如く見ゆ

ますら雄は 美しく 身の痩せやせて、立ち躍りつつ 人を泣かしむ

あゝひとり 我は苦しむ。種々無限シュジュムゲン清らを尽す 我が望みゆゑ

倭をぐな 以降

楡の曇り

北京

自動車を深く乗り入れ 別れなむ。しづかにを去れ。胡同ホウトンのゆふべ

胡同、小路に当る

ニレの枝空に乱るゝ夕ぐれか―。いよゝ澄み来し北京ペイピンの秋

わが前に 立ちはだかれる歓喜仏クワンキブツの 死像の如きハダヘを仰ぐ

大寺の歓喜ぼとけの 塵ばめる膚を見つゝ たのしからめや

道教寺をきよしとぞ思ふ。ムナしくてほこりつもれる その匂ひさへ

座のなかに ほこりじみたる大き枕 正しくすゑて、居る人もなし

半生涯のいと長かりし屈託を 睡りて行かむ。道教寺の昼

時長く 音も聞こえぬ静けさを 泰山府君タイザンフクンの塑像に対す

直隷省 固安県 石各荘の最前線の 銃声を聞く

たゝかひの まだ静かなる日に見たる 直隷の小村 如何イカヾなりつらむ

喇嘛塔の 白じろ照れるゆうふべなど 出でゝ会ひしを 思ひなむか

北海ペイハイの 波頭たつ黄塵の日も出でゝあひ たのしかりしか

日本のよさをあげつらふ人に向きて、喜びごゝろ 涙とゞまらず

焦燥

太ぶとゝ 腹だち書ける文字のうへに、すとらいきビトの感情を にくむ

のどかなる人ごみに 押され居たりけり。今日は すとらいきもびら﹅﹅も見かけず

六郷ロクガウの線路故障を 告げをれど、その声もよし。望むところなく

我ひとり さびしからめやと独言ヒトリゴち 入り来る小屋に 人みだれあふ

濃き紅を広くつけたるをみな子に 坐圧ヰオされをるは、すべなきものを

うつ〳〵と 目黒五反田過ぎしほど―。しやくりし出でぬ。隣のをんな

郊外の電車をおりて なほ行かむ。地平の空の夕やくる 森

焦燥 二

山住ひを棄つふ友の消息を 見たる日の午後 銀座に出で来

あはれとぞみづから思ふ。いきどほりてかひなきことに 顔赤め居る

たゝかひのノチなりければ、人の言ふ猥談なども 親しまずけり

けがれたる五臓六腑を 吐き出してなげくが如し。たゝかひの後

人拐ヒトカドひ 剽盗ヒハギ ぬすびと 我ならぬ人のする見て心おどろく

戦乱の日につゞきたる 青年のひたぶるごゝろを 煉獄に

次のの若き心を 剽盗ヘウタウの群れにオトして 我や易けき

我が心の 乱れてありし瞬時にし 若人どもを死地にやりたり

清潔なる顔をしたる この青年の写真に註す。剽盗ヒハギの頭領

この国の旧き思想の 豹変する時にあひて、心を保ちとげむとす

飛鳥

明治十八年のこれら﹅﹅﹅に果てし 唯ひとりの医師として、祖父の記録を見出づ

半生を語らぬ人にて過ぎにしを 思ふ墓べに、祖父ををがみぬ

飛鳥なる古き社に 帰り居む。のどかさを欲りすと よめる歌あり

祖父の顔 心にうかべ見ることあれど、唯わけもなく すべ〳〵として

ふるさとの母既に亡く 一人なる父頑なに 清く老いたまふ

町びとの家の子となり 二十ニジフ年 花のしぼむが如く ありけむ

町びとののすべなさに おどろくと書ける日記に、見ぬ祖父を感ず

事代主コトシロヌシ 古代の神をオヤとする いとおほらかなる系図を伝ふ

ナムチ 少彦名スクナヒコナを思ふ時 かく泣かるゝは、今の代のゆゑ

大汝 この世にありし人なりと 今は思はむことも、さびしき

日本の古典は すべてさびしとぞ人に語りて、かたり敢へなく

ムカのそばだちたるを見つゝ居て、三十年ミソトセ過ぎぬ。りて思へば

ほと〳〵と 音立て来るは、いにしへの南淵ミナブチ山を出づるおうとばい

秋風の吹き荒るゝ道に ひきずりて砥石を馴らす村びとに 逢ふ

薄の穂 白じろと飛ぶ原過ぎて、悲しまぬ身は、やりどころなし

汪然と涙くだりぬ 古社フルヤシロの秋の相撲に 人を投げつる

彽回

りて しづかになれる町の空 煙たなびく見れば 暮れたり

美しき春ぞ到れる。時としてなほも わびしくもの思はむとす

朝早く まだきに人の起き出でゝ、ふみくばるなり。たのしからめや

うらさびしく行く道なかに、尊き一人イチニンに思ひ到り 帽を脱す

大きなるらんぷ﹅﹅﹅ 取出トウデてよろこべり。古き知識の 如く しづけき

奇妙なる人形ひとつ 時々に踊りる如し。我が心より

おもしろげなく 世間の噂などしつゝ、座を起ちて行く客と 我とあり

おもしろく 世にあらむなど思へども、人厭ふさがは つひにさびしき

琉球

那覇のの さびしき泊り舟どもの 浮べる浪は思ひがたしも

沖縄の首里の都の知る人を 饑ゑに死なせつ。さびしき時に

島の土 焦土となりて残れるも いんどねしあの如く あらむか

家常茶飯

たゝかひに しゝむら焦げて死にし子を 思ひ羨む 日ごろとなりぬ

さびしくてひそまりて居る家のうち―。音にひゞきて、喰ふ物もなし

日本ニツポンのよき民の 皆死に絶えむ日までも続け。米喰はぬ日々

をかしげに 米なき日々の生活を馴れて語るは、さびしかりけり

さすらひ出て 行き仆れびとゝなりやせむ。たゞ凡庸に 我を死なしめ

日を逐ひて 冱寒ゴカン迫れり。たけにぐさ 藜 葎も 焚き尽すころ

夜もすがら つのる冱寒の烈風は 生肌イキハダサラし寝るに カハらず

誰びとか 民を救はむ。目をとぢて 謀反人ムホンニンなき世を 思ふなり

如何にして命生きむか。這ひ出でゝ 焚かむ厨に、木も炭もなし

くちをしく この憂き時に死なざらむ―。行きたくもなき命に シフ

日々感ずる身うちの痛み 家びとに知らせざらむと 堪へつゝぞよき

ひたすらに命貪り、一生の本意にふるゝことも なからむ

おとづれ

さま〴〵の憂ひを告げに来し人に 日ねもすあひて、虚しきゆふべ

おしこらへて 火をおこすなり。えせ者のときめく時と 世をおなじくす

深々と われの眠りを守らむとする人もなし。夜明けつゝ 寝る

いと早く 人の訪ひ来る朝起きて、水霜重きに 心いためり

朝宵に 人の来たりて叩く音―。扉をかけて、かたく坐し居る

おどろきて 人に告げなむたのしみもなくなる今を 血便くだる

さびしき婢

つま別れすべき時なり。国破れ タレ サイハヒモハラにせむや

ひそやかに 世のかたはらに生きてゐよ。が幸を 今は祈らむ

くるほしく泣きて コホしくせしものを つまはなれよと 我ぞ叱りし

小人の怒りと思へど、とゞめざらむ。かく怒ることも 稀なるものを

落ち葉など 深く音する路を来て、人にあはざるよろこびに堪ふ

賑はしき霜月芝居 見て帰り語るを聞けば、我も安けし

町中を 人のとほらぬ昼なかに、もみぢをこぼす 街樹の朝霜

ゆくへなく出でゝ来たりし道の上に、こま〴〵として もみぢ降る町

餅をやくをみな子の居る家に入り、山の霙を言ひつつ 居たり

津島大宮司家絶えむとす

家古く 人はかひなし。友だちのほろびしアトに残れるも 死ぬ

目のまへに かく家多く亡びゆく。悲しむことにあらずと思はむ

山の上より滝おちかゝる静かなる朝のけしきに、我が起きてゐる

一山の雷雨のノチに 音たえし山川のひゞき 深くしおこる

霹靂カムトキの過ぎ行きしノチ。何時までも 心深めて、我がすわり居り

老い

幾百の咳病シハブキヤミの中に見る 老いさらぼへる 古き恋人

こゝろよくものは言へども、をみなの心にふれて もの言ひがたし

かち〳〵に 辛き味噌など残りたる皿を見て居て、数日を過ぐ

朝ゆふべ たのしみもなし。老いぬれば、口にきらひの いとゞ殖え来る

若き人のむねに沁まざる語もて、わがする講義 亡びはてよかし

我生きて ものを思へり。おもふともかひあらめやと 思ひつゝ憂き

しづかなる思ひに生きむ。ひたぶるにしづかなるべき時 過ぎよかし

いとほのかに 思ひすぎにしをみな子のうへを聞きけり。よろこびて聞く

虜囚

いきどほりつゝ

白じろと 我に示せる手のひらの さびしき銭を 目よりはなさず

きたなげに髪ちゞらせる 町娘にむきて怒りを こらへをふせぬ

馬小屋のうしろに 繋ぎ棄てられし豚の子なんぞ 蹶たふしてやまむ

やりばなき思ひのゆゑに、びゆう〳〵と 馬をしばけり。馬怒らねば

旅寝して こゝに果てたる歌びとの 七百年経し歌の はかなさ

顎田へ

象潟は曇。霏雨時どきに到る。東道の老夫能く語り、林越の瑠璃と相応ず

賑はしくして すなはち寂し。由利びとゝ 時に コトまじへ、道くだり行く

蚶満寺、旅客集数帖を蔵す。いつの代の誰筆おろしそめけむ

いちじるく来て遊びしも ひそかなる行きずりびとも すべてかそけし

五月九日十八時

我賀仙人駅を 過ぐるほど―。ほのかに昏れぬ。峡の桜は

羽前に入る

桜咲き 大き峡こゝに岐れゆく。相野々村のあたり なるべし

横手駅乗り替へ。汽車俄かに北上す

幾つかの支流越えしが、雄物川 望むことなし。日は入りしかば

秋田に宿る。終夜風烈しく、ツトめて青空出づ

暁は 海の方より青み来て、秋田の空に 立つ音もなし

魁新報社楼上

たゝかひの悔いのはげしさ。街衢マチチマタ 野も山も かく顕然マサしき 見れば

男鹿

島深く 霞む山かも。時をて 鴉は 鳶を逐ひオトしたり

出湯にて

まれに来て遊ぶゆたけさ。すこやかに 斯くし あるじの立ちる 見れば

庭づたふ水のさやけさ。起きて聴き て聞く音の 夜となり行く

旅長く堪へ来し肩を 揉ませ居ぬ。姥神まつる行者 といふに

すべなき民

深ぶかと草のしげれる 夕カゲの道をかへりぬ。のどかになりて

わが国のほろぶる時を 数ならぬ民のすべなさ、魚つり遊ぶ

知りびとの ろさんぜるすに死にしのち たゝかひ起り、とふカタもなし

裸にて 戸口に立てる男あり。百日紅ヒヤクジツコウの 黄昏クワウコンの色

暁はしづけかりけり。あかつきのいつもしづけき牀に さめつゝ

波の色

二藍の生絹スヾシの裳すそ しつけよき家のをとめも、よく遊びけり

たはれ女も 春のころもの匂はしき振り袖ごろも著つゝ ほこりし

   *

あなさびし。朝より暑く明らかに 沙丘つゞけり。その彼方ヲチの 波

のどかなる波の音きこゆ。しどろなる 海沙カイサの上の 沖つ藻の荒れ

夏の日を 苦しみ喘ぎゐる時に、声かけて行く人を たのめり

狂ひつゝさむることなく 死にしをぞ羨みにしか。戦ひのなか

たゝかひの果てにし日より 思ひつゝつぐることなき身と なりにけり

虜囚

しべりやの虜囚の 還り来る日ぞと思ふ心を しづめなむとす

しづかなる朝明に起きて、床のうへに われは嗟嘆す。とげざらめやも

叢に くれなゐ薄く見えてゐし藜の茎を見つゝ 寝入りぬ

さま〴〵に カヒなきことをなげき居し人もかへりて 三日過ぎにけり

雨の音しづかに過ぐるさ夜ふけて、人をかへしぬ。寝惜しみて居む

にほはしき眉をひそめて ものを言ふ あはれその顔 忘れざりけり

この日ごろ 家ゐることの少きを思ひなげゝり。すべあらめやも

をみな子は いと誇りかにふるまへど、さびしきキヌを見つゝ ゆるしぬ

やつれ頬の骨立ち黄なるをみな子を あはれと思ふ時 なかるべし

   *

沖縄の洋のまぼろし たゝかひのなかりし時の アヲのまぼろし

大海の色澄み〳〵て、あぢさゐの花むら深く あふれ来るもの

紫陽花の花むら深く 声きゝて 我はゐにけり。青海のなか

沖縄に行きて遊ばむ。危々ホトヽヽに 死なむとしたる海の こほしさ

五浦にて

かの子らもをどるなるべし。大洗の磯松ばらの ほのぼのとして

ひたすらに やまひやしなへ。しづかなる日々すぎゆくも、たのしきものを

如月空

如月の野に照る光り 臥してゐて見れば、しづけし。我が病めるすら

きさらぎのいくさに果てし我子ワコの日も、知るすべなくて、四年になりぬ

ガラと 黍とのコナの餅くひて、如月空の春となるを 見つ

蓼のカラ 穂薄の株刈り臥せて、こぞのまゝなる庭に、雪来ぬ

ぬすびとのすり﹅﹅ホコれる乗り物に、われさへ乗りて 悲しみもなし

城隍の塵

皇天上帝 青く澄みたる空となり たなびく日なり。天壇にのぼる

我ひとり 市を出で来て、どろ〳〵の沓をなすれり。赤犬の腹

塔のうへの空の 青さや。幼くて こゝに見呆けし我 ならなくに

―蘇州

そも〳〵ナンヂは何を見たりしか。中山陵を出でゝ 咳く

一列に車をすゑて 長閑ノドにゐる車を、喚びて乗りかねて居り

新春

やゝ十日ひし白猫 死にしノチ、我があることも 生き物のゴト

わが友の さびしき息をつき居りし家をたづねて、その子らにあふ

山々のハザマの雲の 湧く村に来つゝ あはれの物語り 聴く

女のみ生き残りつゝ よき生活経る 家に来たりて、去りあへなくに

半時の颶風のゝちに しづかなる心になりてゐるに おどろく

暁の草

暁はかなしかりけり。目のさめて 我のみひとり 膚燃ゆらむか

這ひ出でゝ 畳のうへに寐むとする―しとゞの汗を かなしむとなく

雑草の群立ムラダつなかに 粉となりて散り行く花を 熟熟ツクヅクは見ず

あなあはれ 音ぞ聞ゆる。しなえつゝ 起きかへる草のそよめかむとす

見おろせば、風に揉まるゝタカムラの 日昏るゝ色の、しづまりにけり

菊の花 しどろに臥してゐるところ過ぎて 悔いなし。踏みとほるなり

叢の中より出でゝ 光りつゝ消えゆきし蛾を 思ひ出で居り

ひたすらに 冴ゆる日続く日ごろなり。家出でゝ還らぬ人も ありけり

夏の日の照る日に来たり、草の笛うゑて去りにし子らも 忘れつ

   *

我々は唯 ぼうとして居りしのみ―。かく後の世に 伝へおかむか

くなどの前

静かなる春なるかもよ。かの雪は 箸蔵寺のあたり なるべし

はろ〴〵に 睦月の原に 大き河 流るゝ見れば、戦ひは過ぐ

ましぐらに 池田貞光汽車過ぎて、春はたゞ轟く 山河の音

阿波に入りて 霙はれたる寒駅に、立てるは 老いし伊勢の武市ブイチ

こぞのトシ 知りびと多く過ぎ行きて、しづかなるに 春到るなり

静けき春

日本のふるき睦月のたのしさを 人に語らば、うたがはむかも

道のべにひとり ながむるをとめ多し。睦月たのしと 思ふならむか

寒菊は 水あげにけり。すばらしき元日の夜の冷えの 盛りに

日本の春還るなり。日本のたのしき春は いつ来向はむ

しべりやの冱寒ゴカンに 饑ゑてねむりたるカラき睦月の物語 せよ

春の反語

裏庭の霜荒れ土に ふる雨のあたゝかにして、睦月来向ふ

おもしろき日々を ねがひて経し年や つひにさびしく あらたまり行く

わかき人 金まうけつゝ学問す。金まうけたのしくならば、いかゞすらむか

おもしろげに笑ひて ひとり起ち行きぬ。をかしき話題なくなりしかば

あぢきなくなりて居にけり。人々の あまりたのしく語らふなかに

石の上にて

韮露古風

とほき世の恋がたりなど 思ふべくあまりに苦し。雪の下廬シタイホ

たま〳〵に 雪散り来たる。ふりみて 山はたゞ白き日ごろ と思ふに

ふる雪の廬には うもれ死なずして、命めでたく終りたまへり

おこたりも よろしかりけり。雪深く ほとけの花も うづもれにけり

この夜らや命絶えむ と思ひつゝ寝し夜もあらむ。雪の下にて

遊び

おほどかに 声あげて遊ぶ若き代の人の遊びを見れば、足らふらし

知識びと若きをつどへ とゝよ出よ嬶よ出よ と言ふ遊びをするなり

あそび呆けて 悔いをおぼえてゐる時も、おろか遊びの なごりよろしも

   *

ゼニりて 伊勢の法師のかきし画の いづれを見ても、卑しげのなき

伊勢法師乞食カタヰ月僊ゲツセンの かきし画の心にふりて、ゆたけくなりぬ

   *

国の名の丹波と言ふを 耳にせぬこと久しきを 思ひゐにけり

囑目

いにしへの人のこほしさ。飛鳥寺アスカデラの古き塑像の たぐひならめや

桃の花にを苦しみて旅すなど 昔の人は 思ひけめやも

ひろ〴〵と焼けひろがれる 谷々の残りの家にヒトモす。赤坂

夕づく日 麻布へさがる焼け原の大きうねりは 寒く輝く

飛行機の つらなり過ぐる夜のほどろ 腹にひゞきて 音ぞとゞろく

騒音

鎌倉の癩病カタヰれるメンを見し その夜のほどろ 眠らざりけり

女どち 車つらねていにしノチ。しづ心なく もの言ひ出でぬ

しづかなる眠りより覚め、衢より騒音至る時まで 起きず

朝日さす野茨に 蜂のたつところ過ぎて 言ひ出ぬ。別れのことば

垣越しに 菊の束など投げ行きしが布哇より 十年経て還る

馬鈴薯の花咲く中に くぼみたる土穴を見て、たけり来る心

たゝかひの海ゆのがれし物語 涙流れず聞く日 到りぬ

鉄道の線路の中ゆ 這ひ出でゝ死なれざりしを ため息に言ふ

趣味あきし曲線タワを つくれる若者の髪に向ひて くたぶれて居り

籠は籠 さかなは肴 ラウがはしき朝の厨に、鼠を仆す

壁の中に鳴く声聴けば、鼠すら喜び鳴くは、叱れどもやめず

戦友の死にたえし島に、空と波の青きを吸ひて 生きてゐにけり

   *

わがやどの睦月三日の くれがたの さびしき夕餉 にほひくるなり

あをぞらの下よりかへり、ほのぐらさすでに到れる部屋に ころぶす

たゞひとり あるかひもなき老いの身の、いよゝむなしく 病ひいえきぬ

歌舞妓芝居後ありや

音羽屋六代の主、尾上菊五郎殁す。その日遥かに、能登にあり。我また、ワタクシほとけ﹅﹅﹅を持ちて、盂蘭盆の哀愁、愈切なるものあり

亡びなきものゝ さびしさ。永久トハにして ナホしはかなく、人は過ぎ行く

自らツクる所の戒名 芸術院六代菊五郎居士と言ふと伝ふ。もの思ふこと彼の如く深く、之を表すこと彼の如くセツにして、なほ知識短きこと斯くの如きに、人はほと〳〵哭かむとす

酔ひ深く いとゞ五斗ゴトウの舞ひ姿 しづかに澄みて、入りゆけるはや

山居

あしざまに 国をのろひて言ふことを 今の心のよりどころとす

小田原の刑事巡査の おり行ける道を見おろす。高萱のなか

深々と 霧立ち居たり。山中の村に人なき 村なかの広場

艫をおして 山湖サンコに遊ぶ若者を悲しまさむや。彼らは よろしき

山びとのタシむ心を 思へとぞ、大根ダイコもちひを作りて 喰はす

水面

師の面に 我は嗟嘆す。年老いてかく若々し 声あげたまふ

中書島 過ぎにし頃か。乗り殖ゆる電車に感ず。広き水の面

わが齢いまだ若くて みをしへにものゝあはれも 知られざりけり

師を見れば、声匂やかにおはせども、昔の如く 恋をかたらず

小椋池 淀八幡過ぎ、しづかなる雨しみとほる 橋本の壁

いとほしく 髪ゆひ飾るむすめ子の まだ行きけるよ。伏見の道に

冬の雨 二日降り沁む深草の屋並みの上の 山もみぢの色

あくびの如く

己斐コヒ駅を過ぎしころ ふとしはぶきす。寝ざめのゝちの 静かなる思ひ

十月にハヤく 時雨の感じする雨あがり居つ。とんねるの外

しどろなる その日の記憶のこり居て、はや驚かず。広島を過ぐ

神憑カミツきのオムナと かたりあはむ為 ハジの紅葉の村に 来たれり

累々ルヰヽヽと 屍骨シコツとなりし教室の瞬時シユンジを 目にす。心弱る時

草あぢさゐの 花過ぎガタのくさむらに向きゐる我が目 クラくなりゆく

旅のほど いよゝカタクナに我思ふ。わが子はつひに 還らざるらし

一行イチギヤウの文学をだに なさゞりしことを誇りて、命過ぎなむ

飽く時のなかれかしとぞ 遊びゐる我の心は、泣くに近しも

若きどち 恥かしげなく言ひオラぶ かゝるヤカラに 世をのこさむか

姫峰榛ヤシヤの実の つぶらに清き見つゝ居て、人間これをたのしみがたし

空深く 風の吹きやむ音すれど、秋はいよ〳〵 色のしづけき

ウカラびと死に絶えしのち たとしへなく 老いの心の やすらひを覚ゆ

春帽

さわやかに春来てなごむ 日々の晴れ。清き帽子は、風にとらさず

人なみにすぐれて 大き帽子著て あるくと 人は知らざらむかも

きよげなる帽子かづきて、出あるきし昔の春の こほしかりけり

睦月来たる

睦月来ぬ。庭の木叢コムラを我が掃きて、霜のかたよる音を 聞き居り

睦月来ぬ。かにもかくにも よき世とぞなりゆくらしも。町のとゞろき

をとめ等のひたと満ち居し 電車よりおりてにぎにぎし。睦月のこゝろ

春聯

筑紫なる観世音寺の鐘のを 思ふしづけさ。歳のあしたに

二日三日フツカミカ 睦月のキヤクも訪ひ来ねば、しづけさあまり、あはれと言ふも

ワタなかの島べに ひとりある如し。睦月を七日ナヌカ 人にあはねば

庭萩の高き繁りの 枯れしノチ、かきはらはずて 睦月到りぬ

あめりかの進駐兵に あひて言ふ会話を考へ 考へつゝ来ぬ

輝く朝

静かなる睦月ついたちを ひとりなり。四方の木の葉の 輝くを見つ

としの朝 やうやく昼と闌けゆけり。こののどかさを 人とかたらむ

かにかくに 人は人としうつくしみ 生きむ心の おちつきにけり

歳の夜の更くるまでゐて 酔ひなける人をかへして、かたくとざしぬ

よろぼひて いづれのほどを 帰りけむ酔ひ人も寝よ。としの夜ふけに

遥けき春

春に明けて十日えびすを 見に行かむ。ほい駕籠の子に 逢ふこともあらむ

よき年の来る音すると 寝つゝさめ覚めつゝ寝ねて 待ちし日思ほゆ

ふるさとの大阪びとの 夢のゴト遊びし春は、過ぎにけらしな

春七日

珍しくして悲しき如し。うづ高き賀状にまじる 古びとのふみ

春早き山のひゞきを聞く如し。睦月の朝を 湯のたぎり来る

そらごとを言はせて 春を家居れば、はるけき旅にある こゝちして

ゆたかなる衢のとよみ聞え来る 春の七日を寝貪ネムサボらむか

あきびとのむれにまじりて 家離る我弟も還れ。年のはじめに

   *

しづかなる村に入り来つ。日おもての広場あかるき 若草の色

―昭和廿五年御歌会

石の上にて

風の音しづかになりぬ。夜の二時に 起き出でゝ思ふ。われは死なずよ

たゝかひのすべなかりにし日を思ひ 浮び来る顔 それも過ぎたり

何ごともなかりしごとく 朝さめて溲瓶の水を くつがへしたり

悲しみは 湖岸コガンの泥にゐる虫を見つゝある間に、消えゆかむとす

斎藤茂吉ウヂの歌の くさ〴〵の、おもしろきを思ひ、ふと笑ふなり

鳥 けもの ねむれる時にわが歩む ひそかあゆみの 山に消え行く

鳥ひとつ 飛び立ち行きし荒草の 深きところに、我は佇立チヨリツ

天つ日は乾快カワラかなりや。くぬぎの葉 萱の葉日光る昼を 音なく

山深き八頭郡ヤツカミゴホリ 弟のウカラのこれる村の かそけき

沢底ゆひのぼり来る雑木叢ザフキムラ わが窓さきに 青く 林す

沓下ゆ出でたる指を 生き物の如く見て居り。悲しむにあらず

飽く時もなくて遊ばむ。シカ願ふ我の心は、哭くに近しも

嬢子塋

氷雨の昼

ほの〴〵と 狐の塚の 濡れゆくを見つゝ我がゐて、去りなむとせず

しづかなる雨となりゆく稲荷山。傘をひろげて 立ちゆかむとす

しづかなる京をまかりて 思ふこと あまりに多き 亡き人の数

たゞ一人 花かんざしのにほはしきをとめを見しが、それも過ぎにき

たゝかひのすぎにし時に 思ひ出でゝ、あはれと言ひし それもあとなし

ひえ〴〵と 氷雨にぬるゝ土手の草。葛葉 橋本過ぎにけらしも

冬至の頃

すぎこしのいはひのときに 焼きし餅。頒ちかやらむ。冬のけものに

耶蘇誕生会タンジヤウヱの宵に こぞり来るモノの声。少くも猫はわがコブラ吸ふ

基督の 真はだかにして血のハダヘ 見つゝわらへり。雪の中より

年どしの師走の思ひ。知るらによき衣やらむ富み 少しあれ

われひとり出でゝ歩けど、年たけて 生肌イキハダ光る おどろきもなし

睦月ついたち

遠きよりよき音おこる 自動車の響きの如し。年の来たるは

うつくしきあめりかブミの とゞきたる睦月の朝の心 たもたむ

たゝかひのゝちしづかなる時を経て、しみ〴〵と思ふ。しぐれのひゞき

沓はきてしづかにくだる花壇より 噴きあぐる音は、睦月の水音

恋ひ痩せて いとイウなりと言はれたるをみなもありき。むかしなりけり

わが父の残しゝ笛は、指のあと深くくぼめり。百姓の笛

雨ふりてのどけき村の源頭カシラ。水捲き来たる 睦月のアシタ

山々の睦月朔日。日にけぶるほどは、思はむ何ごともなし

日のかげり時を経て過ぎ、明り来るほどのしづけさ。手の本をおく

槇の葉も 落葉松カラマツの葉も、深ぶかと雨に濡れたり。年カハる山

雪崩

恍として我が居る時に、数十間けぶりを揚げて 雪なだれ過ぐ

互喜同窓会

あら草の花飛ぶ庭に 酒呑みて酔ひてわかるゝ 大阪を見つ

をしへごの皆年長けて アハあはと をみな子の噂する中に居り

ゑのころを庭に放して 追ひ遊ぶたのしき時は、人とかたらず

父母の もだし給へる静けさの日々に馴れつゝ 寂しかりしか

銀座田舎

アガタびと 扇もとめに上り来てひしめく如し。銀座は賑ふ

朝空

しづかなる朝を漕ぎいでゝ、青雲のむかふす空のあたりまで 来つ

―昭和廿六年御歌会

不忍池

市民らが 目をなぐさめむ尺地セキチをも 与へられずば、虚空ソラに遊ばむ

上野動物園

いとまありて身は若かりき。時に来て見し 熊 獅子も、死にかはりたり

戦ひのほどのあはれさ。獅子虎も象すらも あへなく餓ゑて死にたり

国の祖母

日の本のをみな子たちの悲しみを 一人負ひつゝ嘆きましけむ

わが国の悲しき時に 心ふかくおくりまつらむ 国の祖母オホバ

日の本の栄えし時に 花の如 大御姿は 照りいましけり

   *

大正のキサイの宮の 匂やかに清きみかげを しのびまつらむ

とこしへにみ名とゞめむと フミに書く文字のさやけさ 貞明皇后

おのづから 咲きゝはまれる朴の花。大きさいの宮 すぎさせたまふ

   *

しづかなる国となりゆく日本を 貞明皇后 みまもりたまへ

大正のしづけき御代の物語 わがしてあれば、なみだくだりぬ

硫気噴く島

たゝかひに果てにし人のあとゞころ かそけき島と なりにけるかも

たゝかひに果てにし人を かへせとぞ 我はよばむとす。大海にむきて

たゝかひに果てにしあとは、思へども 思ひ見がたく 年へだゝりぬ

硫気噴く島の荒磯に立つ波の 白きを見れば、むなしかりけり

思ひつゝ還りか行かむ。思ひつゝ来し ミムナミの島の荒磯を

南の硫黄が島に 君見むと思ひつゝ来し心 たがひぬ

―古代感愛集原本「硫気噴く島」の反歌

沖縄を憶ふ

なげきすることを忘れし わたつみの島の翁は、さびしかるべし

大海原年あけ来たる青波に 向きて思へば 時移りゆく

赤花の照れる朝明の家いでゝ また見ざりけり。島の若巫ワカノロ

―「古びとの島」の改作「沖縄を憶ふ。沖縄のはらからよ」の反歌

しみ〴〵と 寒き昼間を出で来たり、芥くゆらす子どもに まじる

草田杜太郎てふ青年と 逢はむと言ひしが、逢はず終へにしか

醜さの、わが貌におく表情の若干イクラは、祖ゆ伝へたりけむ

数人の飽きあきしつゝ 去りし後、暗きべんちに 我は倚り行く

我よりも残りがひなき 人ばかりなる世に生きて 人を怒れり

   *

たゞ一人歩ける道に まろがりて紙の行くすら たのしかりけり

若き明治

いづこにか蟬が声すと あなかしこ 明治のみかど 御言ミコトをはりぬ

かたくなに 森鷗外をみしつゝありしあひだに、おとろへにけり

不忍の池ゆち行く冬の鳥 羽音たちまち 聞えずなりぬ

鄙びたる寛袖ヒロソデごろも 著あるきし 我の廿歳ハタチも、さびしく過ぎぬ

四十シジフて 残ることなし。冷えびえと 蕎麦を嚙みつゝ別れしところ

わが若さかたぶく日なく信じたる 日本よ。あゝ敗るゝ日到りぬ

春のまどゐ

せむすべもなくて遊びし 我が若きはたちのほどの 睦月しおもほゆ

雪の山黙してくだる山人も、たのしかるらむ。春のおもひに

つく〴〵と見つゝはなやぐ。我がらと言ふべきほどの をとめのつどひ

くりすますは、きのふ をとゝひ 今日の雪豊かにうづむ をとめの団居マドヰ

人多く住み移り来し向ひ家のさわぐ響きも、睦月はよろしき

静かなる光

屋内ヤヌチみな 物の状態タチヰの静かなるに、しばらく 清き光にあたる

睦月立つ山よりおろす風のおと さう〳〵として、はるかにぞ過ぐ

朗らなる歳の朝戸の人の声。寒き家より 我出でゝ会ふ

明けわたる鉄道線路 まつ直に、草の武蔵に 睦月到りぬ

あたゝかき 暮れの廿五日を出であるき、来向ふ年の静けさを おぼゆ

春聯翩々

そこばくの銭をあたへて 還せとぞ思ふ。睦月は 悲しまず居む

アラらけく ふぐのみ梳剝て喰はむとす。睦月は ものにこだはりのなき

山の湖の氷をりて 掘り出づる蛙の如し。春待つ心

わが頼み

厩戸の皇子れたまふ思ひして、ひたすら君を 頼みたてまつるなり

しづかなる睦月ついたち ほの〴〵と 遠山のの雪を思へり

雪の降る山にのぼりて、いづこまでめ行かばかも 淑人ヨキヒトにあふ

   *

はろ〴〵と船出フナデて来しか わたの原 富士の裾べは 波かくれけり

―昭和廿八年御歌会

埃風

空高く とよもし過ぐるツチ風の、赤き濁りを、頬に触りにけり

夏ごろも 黒く長々著装ひて、しづけきをみな 行きとほりけり

かそかなる幻―昼をすぎにけり。髪にふれつゝ 低きもの音

青草の生ひひろごれる 林間を思ひ来て、ひとり脚をくみたり

しづかなる弥撒ミサのをはりに あがる声―。青空出でて 明るきイシ

山深く ねむり覚め来る夜の背肉ソジヽ―。冷えてそゝれる 巌の立ち膚

ひと夏を過さむ思ひ かそかにて、乏しく並ぶ。煮たきの器

あめりかの子ども 泣きやめ居たりけり。木の葉明るき 下谷シタダニの小屋

かくの如 たくはへ薄く過ぎゆける我を 憎まむウカラ 思ほゆ

ともしきは、心ほがらに在りがたし。十一人を 姪甥に待つ

山中に過ごさむ夏の 日長さの、はや堪へがたく なり来たるらし

ヤマ道の中ダヲれせるあたりより、若き記憶の山に 入り行く

曇る日の 空際ソラギハゆ降る物音や―。木の葉に似つゝ しかもかそけき

貪りて 世のあやぶさを思はざる大根うりを 呼びて叱りぬ

まさをなる林の中は 海の如。さまよふ蝶は さむすべもなし

降りしむる 大き 木の股。近々と 親鳥一つ巣にてり。見ゆ

辿りつゝ 足は沿ひゆく冷やかさ。濡れて横ほる石の構造

夜の空の目馴れし闇も、ほのかなる光りを持ちて我をあらしめ

嬢子塋(ヲトメバカ)

すぎこしのいはひの夜更け、ひし〴〵と畳に踏みぬ。母のクルブシ

父母の家にかへりてカヅキヌ つゞり刺したり。父母の如

をとめありき。野毛の山に家ありて、山を家として、日々出で遊びき。血を吐きて臥し、つひに父母のふる国に還ることなかりき。稀々は、外人墓地の片隅に、其石ぶみを見ることありき。いしぶみは、いと小くてありき。さて後、天火人火頻りに臻りし横浜の丘に、亡ぶることなく、をとめの墓は残りき

たゞ暫し まどろみ覚むるかそけさは、若きその日の悲しみの如

青芝に 白き躑躅の散りまじり 時過ぎしかな。ここに思へば

山ぎはの外人墓地は、青空に茜匂へり。のぼり来ぬれば

くれなゐの 野樝シドミの花のこぼれしを 人に語らば、かなしみなむか

日本の浪の音する 静かなる日に あひしよと 言ひけるものを

我つひに遂げざりしかな。青空は、夕かげ深き 大海の色

赤々と はためき光る大き旗―。山下町ヤマシタチヤウの空は 昏るれど

   *

ひろ〴〵と荒草立てる叢に 入り来てまどふ。時たちにけり

壁のうへ

あはれ何ごとも 過ぎにしかなと言ふ人の たゞ静かなる眉に 向へり

ほの〴〵と 炎の中に女居て、しづけきヱマひ消えゆかむとす

をみな子は身の細るまで歎きしが ある日去りつゝ 二十年ハタトセを経ぬ

からくして冬過ぎなむか。白じろと 時に燃え立つ ゐろり火の前

壁の上の幼げの絵を見瞻ミマモりて 久しくゐしが、笑ひいだしぬ

寂かなる思ひとなりぬ。みんなみの炎の島に わが子をやりしが

   *

まづしさは 骨に徹れり。草の茎む家猫を 叱りをりつゝ

猫のイヒもりてあたふる 貝の殻。ことめかしつゝ忽寄らず

無益ムヤクなることゝ思ひつゝ たゝかひの窮りし日に 口漱ぎけり

   *

やしなはるゝ華僑の家に 額髪ヒタヒガミまさぐる吾を 人見つらむか

鶏が鳴く家のうしろの藪原に、ひとり遊ばむ。すべなき時を

我ひとりる時すぎて 起きゐたり。肌の衣は 人盗みけむ

横浜の港を出でゝ とほく行くわが悲しみは、人告げなむか

あはれなるヲミナの旅か。港べに別るゝ見れば、行くがよろこぶ

天草の瀬戸よりアメに漕ぎ出でゝ、いにしへびとは、還らざりけり

昔わが遊び呆けし 天草の島の旅びと ふみおこすなり

追憶

戦ひのもなか、北京にありて

車よりし女 美しき扇のうへの ヒイでたる眉

しづかなる胡同コドウのゆふべ 入り行きて、木高コダカき家に聞きし ものごゑ

鶴見・川崎あたり、工場街に、機銃掃射あり。われ亦、勤労奉仕隊にありて

そのゆふべ マチナギサにかこみゐて、若き学徒を焼きし火 思ほゆ

このごろ、しばらく安し

わが怒りに かゝはりもなし。夕されば、瓦斯 電気灯 おのづから消ゆ

たゝかひの夜頃ヨゴロの如し。火を恋ひて、ま暗き室に 憤り居り

弔歌

『菜穂子』の後 なほ大作のありけりと そらごとをだに 我に聞かせよ

しづかなる夜の あけ来たる朝山に なびく煙を 思ひ出に見む

遺稿

遺稿一

みつまたの花は咲きしか。静かなるゆふべに出でゝ 処女らは見よ

みつまたの花咲く道を うつ〳〵と わが行く山に、夕いたりぬ

みつまたの花を見に出よ。みつまたのさびしき花は、山もかなしき

みつまたの 重ねし枝に 白じろと炎の立つを見つつ 来たりぬ

我ひとり 寝つゝ思へり。隣国の駿河の山の さやぎゐるべし

よき恋をせよ と言ひしが 処女子のなげくを見れば 悲しかるらし

戦ひのやぶれし日より 日の本の大倭ヤマトの恋は ほろびたるらし

戦ひに破れしかども 日の本の 恋の盛りを 頼みしものを

戦ひの十年の後に 頼もしき 恋する人の上を 聞かせよ

銀座よりわかれ来にけり。一日よき友なりしかな。はろけき処女

三方に 道わかれゆく辻の上に 人をやく火の 炎立て居り

陽炎のたつ日 ひそかに来にし道。わかれか行かむ。月島の橋

青やかに 霞める水の しづかなる夕を見れば、戦ひすぎぬ

ひたすらに 霧わきのぼる夜となりぬ。ふけてこぎ来る 水上署の船

霞む日を 我は遊べり。はろ〴〵と 知る人はなし。本所深川

   *

怒ることなくてあらむと 鎌倉を一めぐりして 憤りゐる

青年の 憤りなき物語 聞きつゝ 人をいとふ心わく

われ今は六十ムソヂを過ぎぬ。大阪に還り老いむ と思ふ心あり

いさゝかの酒すら飲まずなりしより とる所なき 老いのくり言

あはれ わが親はらからの過ぎし後、親はらからの しみゝ恋しき

山の風 たそがれ深くおろし来る音は 心にしみて かなしき

堀辰雄の家のうしろゆひらけ来る 追分村の雑木の紅葉

追分の停車場出でゝ 宵の雨 ぬかれる道に 雪となり来ぬ

遺稿二

しづかなる日記ニキのおもては、青山に臥し居くらして ゐるが如しも

時の間のいこひの後に、蒼水沫アヲミナワ湧き立つ水に 入りゆくをとめ

わがいへの 族娘ウカラムスメに著せむ衣。皆 青やかにあるを思へり

をしへ子の十人トタリの中に、衣青き東京娘と言はるゝもあり

をしへつゝ かくたのしげに聞きてゐるをみな子たちを 見ればたのしき

松数拾本。しづかなる日頃となりにけり。山の家に来て 寝る日の多き

東京を思ひて 眠る。しづかなる昼の日明るし 枯れ原の上

おもしろき日々にあらねば、杖ひきて出づる安けさ 山原の霜

日曜日の山のしづけさ。誰一人居るこゑもなき あたり見まはす

日の光 しづけき時をやむ間なくいきどほろしき山鳩の声

山の道 ほどろの草の照りかへし 懐にして 我は寝ほしき

われひとりねつゝ思へり。をとゝしの明日のほどか 死にし人あり

めら〳〵火をふく電車 車より 人をやきつゝ投げ出したり

はる〴〵と 焼け過ぎにけり。草の原のしづけき色もさびしといはむ

遺稿三

人間を深く愛する神ありて もしもの言はゞ、われの如けむ

今の世の 媛 貴人の嫁ぎの日 たゞ寝つゝゐて、聞くは、はかなし

よこしぶき 万世橋にふる雪は はるかに過ぎて、明り来るなり

家の外 土に響きて走る音。夜ぶかく聞けば、犬つがふなり

重りて 猫の子どものうつゝなき 寝床を見れば、かなしまれぬる

霜しろき庭に入り来て、土深く くづるゝものゝ音を聞きたり

たゞしばし 心しづかに 我はゐむ。睦月ついたち 暮れわたる空

   *

いまははた 老いかゞまりて、誰よりもかれよりも 低き しはぶきをする

かくひとり老いかゞまりて、ひとのみな憎む日はやく 到りけるかも

   *

雪しろの はるかに来たる川上を 見つゝおもへり。斎藤茂吉

追ひ書き

(「追ひ書き」の主体たる鈴木金太郎、岡野弘彦、伊馬春部の著作権保護期間は満了していないのでここに公開はしません。)

編集上の注記

(初校作業中 次130ページから)

以下は編集作業の記録および注記です。底本に記載されているものではありません。

作業履歴

  • 作業開始日:2021年5月3日
  • 入力:2021/5/3 – 2021/7/1(月岡烏情)
  • 入力者による初校:2021/7/1 – 2021/9/26(月岡烏情)
  • 他者による三校:(未実施)

注記

  • 底本では、振り仮名は片仮名表記を用いているが、踊り字のみは平仮名のもの「ゝ」「ゞ」を使用している。本稿では片仮名の踊り字である「ヽ」「ヾ」を使用する。
  • 14ページ、「済南」の「済」の字は新字採用の底本においても旧字表記。これは中国の地名としての固有名詞のためと思われるが、本書では一貫して新字を用いる。
  • 44ページ、7首目の詞書「ちえほふ」には底本では傍線が引かれているが、HTML上ではリンクと混同してしまう恐れがあるので替わりに傍点を付す。
  • 66ページ、7首目の「行燈」の「燈」の字は新字採用の底本においても旧字表記。本書では一貫して新字を用いる。
  • 81ページ、2首目の「電燈」の「燈」の字は新字採用の底本においても旧字表記。本書では一貫して新字を用いる。
  • 108ページ、3首目の「饑え」の送り仮名は「え」としているが、「ゑ」の仮名遣いに正す。他版にても確認済み。
  • 110ページ、6首目の「燈す」の「燈」の字は新字採用の底本においても旧字表記。本書では一貫して新字を用いる。
  • 112ページ、7首目後の詞書の「殁」は、底本の通り「歿」の異体字を採用。
  • 128ページ、4首目の「シジフ」のルビは「四十」ふられているが、初句の音を数えるに「四十年」にふるが妥当と思われるが、底本のままとする。
  • 132ページ、6首目後の見出し「嬢子塋」はルビで「ヲトメバカ」を持つ。
  • 136ページ、5首目の「電気燈」の「燈」の字は新字採用の底本においても旧字表記。本書では一貫して新字を用いる。

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