穂崎円『オメラスへ行く』⇔濱松哲朗『翅ある人の音楽』(わたしの歌集とあなたの歌集 vol.002)

「わたしの歌集とあなたの歌集」第2回に作品を紹介してくれるのは穂崎 円(ほさき まどか)さんです。

  • わたしの歌集:『オメラスへ行く』穂崎円
  • あなたの歌集:『翅ある人の音楽』濱松哲朗

『オメラスへ行く』

何処に行ってもマスクが買えず、会食はもちろん、歌や楽器、ダンスや演劇は「不要不急の物」だと言われていた2020年春、梅核気という言葉をSNSで見かけた。ストレスの影響で喉が詰まるなど、違和感を覚える症状のことをそう呼ぶのだという。
馴染みのある症状だったので、今はSNSで話題になるほど多くの人が「そう」なっているのかと驚いた。喉奥に雲のようなビー玉のような重たい何かが絡まっていて、口を開けても息が入らず声も出ない、あの感じ。

奪われた自らの声を思うとき、自分が奪ったかもしれない誰かの声を、この人は思わずにいられないのだ。

服部真里子さんから戴いた歌集帯文を初めて読んだ時、「声」が重要なものとして取り上げられていることに驚き腑に落ちると同時に、当時のことを思い出した。誰かの声を奪うことは、びっくりするほど簡単なのだと思う。

 影である観客たちが手を掲げ撮りつづけてたきれいな廃墟

今秋、典々堂から出版する第一歌集『オメラスへ行く』には、2017年頃からの短歌を収録した。
2017年はわたしにとって私家版歌集『ヴァーチャル・リアリティー・ボックス』の頒布を開始した年でもある。BL短歌合同誌・共有結晶vol.4(最終号)が頒布されたのはその翌年、2018年のことだった。
「共有結晶」は2012年に創刊され、わたし自身はvol.2から編集メンバーとして参加していた同人誌だったが、2025年の今、この同人誌について知っている人は短歌の世界(と、呼ばれるところ)にどれだけいるのだろう。 
活動の特に初期、「共有結晶」はSNSの様々な人から「指摘」や「素朴な疑問」を投げかけられた。それらに対する反論、集まった多様な執筆者が何を大切にしていたかについては正井氏による「私とBLと俳句と短歌 ―あるいは、 #BL短歌 #BL俳句 における欲望について―」に詳しい。今読むと、当時と今とでは世の中全体の価値観もかなり変わっていることに驚くかもしれない。
BL短歌も共有結晶もなかったら、短歌とわたしの付き合い方は随分違っていただろうと思う。賞に応募することや歌集を出版することなんて、思いつきもしなかったかもしれない。

 音楽じゃないと言われる 音楽はいつもきれいでうらやましいな

喉奥に見えないビー玉の存在を感じて咳き込みながら、それでも無理やり声を出し歌っていた頃がある。
コロナ禍が始まったばかりの頃を含む「共有結晶」以降の歌を中心にした歌集です。

タイトルオメラスへ行く
著者穂崎円
発行典々堂
初版2025年9月25日
価格2,200円(税込)

※穂崎さんの歌集『オメラスへ行く』をお求めの方は、典々堂のオフィシャルショップからご購入ください。

『翅ある人の音楽』濱松哲朗

自分の歌集の帯文に声というキーワードが出てきたのに驚きながら、思い出したのが『翅ある人の音楽』(濱松哲朗、典々堂、2023年)のことだった。
表題作の連作はまさに声をテーマにしているのだが、そう思って読み返すと歌集巻頭の図書館を舞台にした連作「忌日」から、声についての歌があることに気付く。

 耳鳴りににじめる声のとほくあれば黙秘のごとくゆふだちに入る

もういない誰かの声があったこと、けれどそれが何かに遮られ、聞こえなくなってしまったこと。
一方で、この歌集にはそうした声に思いを馳せる主体を凝視し、糾弾する存在がしばしば現れる。そのせいだろうか、下句の途中から歌の圧や「声色」が変わる、そんな歌の印象が強い。
この歌集にはミーム、巷でよく見聞きする言い回しを取り入れた歌も時折登場する。SNSでこれらの歌を一首単位で読んだときは笑いながら読んでいたが、歌集として読むとこれもまた、歌の主体像の分裂ではないかと思えてくる。自分であることから逃れられない苦しさを嗤い、誰かの声を聞こうとする主体を茶化そうとする、もうひとりの主体の声がミームという形を取ったのではないか。

 同じ目をしてゐるわれに怯えたるみづからを逃さずにわが目は
 此処にゐる私はわたしではなくて幾らでも云ふ御礼くらいは
 ぼくたちはまあるいみどりのやまのてせんまんなかとほるやつゆるさない

表題作「翅ある人の音楽」でくりかえし現れるカナ書きの詞書は、主体の肉声、短歌、思想、ひいては生き方や存在そのものを否定する。
「市民の声」「マイノリティの声」などという言い方もあるように、「声」とは単に肉声だけでなく、そのひとの意思、その人自身を意味するときがある。奪われながら、しかし主体は最後まで音楽と声を手放さない。

 わたしにも凍える声のあることの笑へば笑ふほどにくるしい
 あらさう、と言ひかへす時水鳥のごときものわが喉を通りぬ

肉声の苦しさはコミュニケーションの苦しさの比喩としても、体感の話としても読めるだろう。そうした緊張感が音楽や日々の中で時折、緩む。

 飴玉を転がすやうに歌ふから歌詞がかなしくても気づかない
 しんこきふ、故意に侘しくなる夜の横隔膜はねむりの錨

自分を凝視し続ける視線をそれでも正面から見返し、把握しようとする。そんな歌集だと思う。

タイトル翅ある人の音楽
著者濱松哲朗
発行典々堂
初版2023年6月24日
価格2,750円(税込)

※濱松さんの歌集『翅ある人の音楽』をお求めの方は、典々堂のオフィシャルショップからご購入ください。

タイトルとURLをコピーしました