歌集『赤光』(初版) – 斎藤茂吉

この記事では、現代短歌PD文庫の一つとして斎藤茂吉の歌集『赤光』(初版本)の全文をHTMLで提供するものです。

底本情報

以下は本テキストの底本となった書籍の情報です。

  • 底本:国立国会図書館デジタルコレクション 907229
  • タイトル:赤光
  • 著者:斎藤茂吉(1953年没 > 2004年公有化)
  • 出版社:東雲堂書店
  • 出版年月日:1913年(大正2年)

『赤光』

斎藤茂吉著
赤光
(アララギ叢書第二編)
東京 東雲堂発行

大正二年 (七月迄)

1 悲報来

ひた走るわがみちくらししんしんとこらへかねたるわが道くらし

ほのぼのとおのれ光りてながれたるほたるを殺すわが道くらし

すべなきかほたるをころす手のひらに光つぶれてせんすべはなし

氷室ひむろよりこほりをいだす幾人いくにんはわが走る時ものを云はざりしかも

こほりきるをとこのくちのたばこの火あかかりければ見て走りたり

死にせれば人はぬかなとなげかひて眠り薬をのみて寝んとす

赤彦あかひこと赤彦が妻に寝よと蚤とりこなを呉れにけらずや

罌粟けしはたのむかうにうみの光りたる信濃しなののくにに目ざめけるかも

諏訪のうみに遠白とほじろく立つ流波ながれなみつばらつばらに見んとおもへや

あかあかとあさけにけりひんがしの山並やまなみあめ朝焼けにけり

七月三十日信濃上諏訪に滞在し、一湯浴びて寝ようと湯壺に浸つてゐた時、左千夫先生死んだといふ電報を受取つた。予は直ちに高木なる島木赤彦宅へ走る。夜は十二時を過ぎてゐた。

2 屋上の石

あしびきの山のはざまをゆくみづのをりをり白くたぎちけるかも

しら玉のうれひのをんな恋ひたづね幾やま越えてきたりけらしも

鳳仙花しろあとに散り散りたまるゆふかたまけて忍び逢ひたれ

天そそる山のまほらにゆふよどむ光りのなかにいだきけるかも

をくじやうの石はめたしみすずかる信濃のくにに我は来にけり

屋根の上に尻尾動かす鳥来りしばらく居つつ去りにけるかも

屋根踏みて居ればかなしもすぐしたみせに卵を数へゐる見ゆ

屋根にゐてかそけきうれひ湧きにけりしたのまちのなりはひの見ゆ (七月作)

3 七月二十三日

めんどりら砂あびたれひつそりと剃刀かみそり研人とぎは過ぎ行きにけり

夏休日なつやすみわれももらひて十日とをかまり汗をながしてなまけてゐたり

たたかひは上海しやんはいに起りたりけり鳳仙花あかく散りゐたりけり

十日なまけけふ来て見れば受持の狂人きやうじんひとり死に行きて

鳳仙花かたまりて散るひるさがりつくづくとわれ帰りけるかも (七月作)

4 麦奴

しみじみと汗ふきにけり監獄のあかき煉瓦にさみだれは降り

雨空あめぞらに煙のぼりて久しかりこれやこの日の午時ちかみかも

いひかしぐけむりならむと鉛筆のを研ぎてけむりを見るも

病監の窓の下びに紫陽花あぢさゐが咲き、折をり風は吹き行きにけり

ひた赤し煉瓦の塀はひた赤しをんな刺しし男にものいひ居れば

監房より今しがたし囚人はわがまへにゐてややめるかも

まきじやくを囚人のあたまに当て居りて風吹き来しにそとを見たり

ほほけたる囚人の眼のやや光り女を云ふかも刺しし女を

相群れてべにがら色の囚人しうじんきにけるかも入り日あかけば

まはりみち畑にのぼればくろぐろと麦奴むぎのくろみは棄てられにけり

光もて囚人のひとみてらしたりこの囚人をざるべからず

けふの日は何もいらへず板の上にひとみを落すこの男はや

紺いろの囚人のむれ笠かむり草苅るゆゑに光るその鎌

監獄に通ひ来しより幾日いくひ経しかなかな啼きたり二つ啼きたり

よごれたる門札おきて急ぎたれ八尺やさかりつ日ゆららに紅し

微毒のひそみ流るる血液を彼の男より採りて持ちたり (七月作)

殺人未遂被告某の精神状態鑑定を命ぜられて某監獄に通ひ居たる時、折にふれて詠みすてたるものなり。

5 みなづき嵐

どんよりと空は曇りてりたれば二たび空を見ざりけるかも

わがたいにうつうつと汗にじみゐて今みな月の嵐ふきたれ

わがいのち芝居しばゐに似ると云はれたり云ひたるをとこ肥りゐるかも

みなづきの嵐のなかにふるひつつ散るぬば玉の黒き花みゆ

狂院の煉瓦のかどを見ゐしかばみなづきの嵐ふきゆきにけり

狂じや一人ひとり蚊帳よりいでてまぼしげに覆盆子いちご食べたしといひにけらずや

ながながと廊下を来つついそがしき心湧きたりわれの心に

蚊帳のなかに蚊が三疋さんびきゐるらしき此寂しさを告げやらましを

ひもじさに百日ももかを経たりこの心よるの女人を見るよりも悲し

日を吸ひてくろぐろと咲くダアリヤはわが目のもとに散らざりしかも

かなしさは日光のもとダアリヤの紅色くれなゐふかくくろぐろと咲く

うつうつと湿り重たくひさかたのあめ低くして動かざるかも

たたなはる曇りの下を狂人きやうじんはわらひて行けり吾を離れて

ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人はつひにかへり見ずけり (六月作)

6 死にたまふ母 其の一

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ

白ふぢの垂花たりはなちればしみじみと今はそのの見えそめしかも

みちのくの母のいのちを一目ひとめ見ん一目みんとぞいそぐなりけれ

うち日さす都のよるはともりあかかりければいそぐなりけり

ははが目を一目を見んと急ぎたるわがぬかのへに汗いでにけり

ともしあかき都をいでてゆく姿すがたかりそめ旅とひと見るらんか

たまゆらにねむりしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや

吾妻あづまやまに雪かがやけばみちのくのが母の国に汽車入りにけり

朝さむみ桑の木の葉に霜ふれど母にちかづく汽車走るなり

沼の上にかぎろふ青き光よりわれのうれへの来むとふかや

かみやまの停車場に下りわかくしていまは鰥夫やもをのおとうと見たり

其の二

はるばるとくすりをもちてしわれを目守まもりたまへりわれはなれば

寄り添へる吾を目守まもりて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば

長押なげしなるぬりの槍に塵は見ゆ母の朝目あさめには見ゆ

山いづる太陽光たいやうくわうを拝みたりをだまきの花咲きつづきたり

死に近き母に添寝そひねのしんしんと遠田とほたのかはづてんきこゆる

桑の香の青くただよふ朝明あさあけへがたければ母呼びにけり

死に近き母がりをだまきの花咲きたりといひにけるかな

春なればひかり流れてうらがなし今はのべに蟆子ぶとれしか

死に近き母がひたひさすりつつ涙ながれて居たりけるかな

母が目をしましれ来て目守まもりたりあな悲しもよかふこのねむり

が母よ死にたまひゆくが母よまし乳足ちたらひし母よ

のど赤き玄鳥つばくらめふたつ屋梁はりにゐて足乳たらちねの母は死にたまふなり

いのちある人あつまりて我が母のいのち死行しゆくを見たり死ゆくを

ひとり来てかふこのへやに立ちたればが寂しさは極まりにけり

其の三

ならわか葉照りひるがへるうつつなに山蚕やまこあをれぬ山蚕は

日のひかりはだらに漏りてうらがなし山蚕はいまだ小さかりけり

はふみちすかんぼのはなほほけつつ葬り道べに散りにけらずや

おきな草くちあかく咲く野の道に光ながれてわれら行きつも

わが母をかねばならぬ火を持てりあまそらには見るものもなし

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

さ夜ふかく母をはふりの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも

はふり火をまもりこよひは更けにけりよひてんのいつくしきかも

火をりてさ夜ふけぬれば弟は現身うつしみのうた歌ふかなしく

ひた心目守まもらんものかほの赤くのぼるけむりのそのけむりはや

灰のなかに母をひろへり朝日子あさひこののぼるがなかに母をひろへり

蕗の葉に丁寧に集めし骨くづもみな骨瓶こつがめに入れ仕舞ひけり

うらうらとてんに雲雀は啼きのぼり雪はだらなる山に雲ゐず

どくだみもあざみの花も焼けゐたり人葬所ひとはふりどあめけぬれば

其の四

かぎろひの春なりければ木の芽みな吹きいづる山べ行きゆくわれよ

ほのかにも通草あけびの花の散りぬれば山鳩のこゑうつつなるかな

山かげに雉子が啼きたり山かげのつぱき湯こそかなしかりけれ

さんの湯に身はすつぽりと浸りゐて空にかがやく光を見たり

ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり

山かげにのこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり

笹はらをただかき分けて行きゆけど母を尋ねんわれならなくに

火の山の麓にいづるさん温泉ひとひたりてかなしみにけり

ほのかなる花の散りにし山のべを霞ながれて行きにけるはも

はるけくもはざまのやまに燃ゆる火のくれなゐとが母と悲しき

山腹やまはらに燃ゆる火なれば赤赤とけむりはうごくかなしかれども

たらの芽を摘みつつ行けり寂しさはわれよりほかのものとかはしる

寂しさに堪へて分け入る我が目には黒ぐろと通草の花ちりにけり

見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷こぶしの花はほのかなるかも

わうさんはだら雪かもかがやくと夕さりくれば岨ゆきにけり

しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも

遠天をんてんを流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき

やまかひに日はとつぷりと暮れたれば今は湯の香の深かりしかも

湯どころに二夜ふたよねぶりて蓴菜じゆんさいを食へばさらさらに悲しみにけれ

山ゆゑに笹竹の子をひにけりははそはの母よははそはの母よ (五月作)

7 おひろ 其の一

なげかへばものみなくらしひんがしに出づる星さへ赤からなくに

とほくとほく行きたるならむ電灯を消せばぬば玉のよるもふけぬる

よるくればさどこに寝しかなしかるおもわも今は無しもどこ

ふらふらとたどきも知らず浅草のぬりの堂にわれは来にけり

あな悲し観音堂に癩者らいしやゐてただひたすらにぜにりにけり

浅草に来てうで卵買ひにけりひたさびしくてわが帰るなる

はつなつに触れし子なればわがこころ今ははだらに嘆きたるなれ

代々木よよぎ野をひた走りたりさびしさにきのいのちのこのさびしさに

さびしさびしいま西方さいはうにくるくるとあかく入る日もこよなく寂し

紙くづをさ庭に焚けばけむり立つこほしきひとははるかなるかも

ほろほろとのぼるけむりのてんにのぼり消え果つるかに我も消ぬかに

ひさかたの悲天ひてんのもとに泣きながらひと恋ひにけりいのちも細く

はうり投げし風呂敷包ひろひ持ちいだきてゐたりさびしくてならぬ

ひつたりときて悲しもひとならぬ瘋癩学のふみのかなしも

うづ高く積みし書物しよもつに塵たまり見の悲しもよたどき知らねば

つとめなればけふも電車に乗りにけり悲しきひとは遥かなるかも

この朝け山椒の香のかよひ来てなげくこころに染みとほるなれ

其の二

ほのぼのと目を細くしていだかれし子は去りしより幾夜いくよか経たる

うれひつつにし子ゆゑに藤のはなる光りさへ悲しきものを

しら玉のうれひのをんなきたり流るるがごと今は去りにし

かなしみの恋にひたりてゐたるとき白ふぢの花咲き垂りにけり

夕やみに風たちぬればほのぼのと躑躅つつじの花はちりにけるかも

おもひ出は霜ふるたにに流れたるうす雲のごとかなしきかなや

あさぼらけひと目見しゆゑしばだたくくろきまつげをあはれみにけり

わがれし星をしたひしくちびるのあかきをんなをあはれみにけり

しんしんと雪ふりし夜にそのゆびのあなつめたよと言ひて寄りしか

狂院の煉瓦のうへに朝日子あさひこのあかきを見つつくち触りにけり

たまきはるいのちひかりてりたればいなとは言ひてぬがにも寄る

のいのち死去しいぬと云はばなぐさまめわれの心は云ひがてぬかも

すりおろ山葵わさびおろしゆみいでて垂るあをみづのかなしかりけり

啼くこゑは悲しけれども夕鳥ゆふどりは木に眠るなりわれはなくに

其の三

うれへつつにし子のゆゑ遠山とほやまにもゆる火ほどのがこころかな

あはれなるをみなまぶた恋ひ撫でてその夜ほとほとわれは死にけり

このこころはふらんとしてきたりぬれはたには麦は赤らみにけり

夏されば農園に来て心ぐし水すましをばつかまへにけり

麦の穂にひかりながれてたゆたへばむかうに山羊は啼きそめにけれ

藻のなかにひそむゐもりの赤き腹はつか見そめてうつつともなし

この心はふり果てんとの光るきりを畳にさしにけるかも

わらじ虫たたみの上に出でしに烟草のけむりかけて我居り

念々にをんなを思ふわれなれど今夜こよひもおそく朱の墨するも

この雨はさみだれならむ昨日きのふよりわがさ庭べにりてゐるかも

つつましく一人し居れば狂院きやうゐんのあかき煉瓦に雨のふる見ゆ

瑠璃いろにこもりてまろき草の実はわが恋人のまなこなりけり

ひんがしに星いづる時が見なばその眼ほのぼのとかなしくあれよ (五月六日作)

8 きさらぎの日

きやう院を早くまかりてひさびさにまちあゆめばひかり目に

平凡に涙をおとす耶蘇やそ兵士へいしあかき下衣ちよつきを着たりけるかも

きさらぎのあめのひかりに飛行船ニコライでらの上を走れり

きねあまたならべばかなし一様いちやうにつぼの白米しろこめに落ち居たりけり

杵あまた馬のかうべのかたちせりつぼの白米しろこめに落ちにけるかも

もろともにてんを見上げし耶蘇士官あかき下衣ちよつきを着たりけるかも

きさらぎの市路いちぢを来つつほのぼのと紅き下衣ちよつきの悲しかるかも

救世軍のをとこ兵士はくれなゐの下衣ちよつき着たればなにとすべけむ

まぼしげに空に見入りしをんなあり黄色わうしよくのふねあませゆけば

二月にぐわつぞら黄いろき船が飛びたればしみじみとをんなにくちるかなや

この身はもなにか知らねどいとほしくよるおそくゐて爪きりにけり (二月作)

9 口ぶえ

このやうになに頬骨ほほぼねたかきかやさやりて見ればをんななれども

このよるをわれとる子のいやしさのゆゑ知らねども何か悲しき

目をあけてしぬのめごろと思ほえばのびのびと足をのばすなりけり

ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛ふきて行く童子どうじあり

あかねさす朝明けゆゑにひなげしを積みし車に会ひたるならむ (五月作)

10 神田の火事

これやこの昨日きぞの火に赤かりし跡どころなれけむり立ち見ゆ

あめけし焼跡どころ焼えかへる火中ほなかに音のきこえけるかも

亡ぶるものは悲しけれども目の前にかかれとてしも赤き火にほろぶ

たちのぼる灰塵くわいじんのなかにくろ眼鏡めがね白き眼鏡を売れりけるかも

のどあゆみ眼鏡よろしとことあげてみづからのに眼鏡かけたり (三月作)

11 女学院門前

売薬商人くすりうりしろき帽子をかかぶりて歌ひしかもよくすりのうたを

売薬商人くすりうりくすりを売ると足並をそろへて歌をうたひけるかも

驢馬にのる少年の眼はかがやけり薬のうたは向うにきこゆ

芝生しばふには小松きよらにひたれば人間道にんげんだうの薬かなしも

あかねさすひるなりしかば少女をとめらのふりはへ袖はながかりしかも (三月作)

12 呉竹の根岸の里

にんげんの赤子あかごを負へる子守こもり居りこの子守はも笑はざりけり

日あたれば根岸の里の川べりの青蕗のたうりたつらんか

くれたけの根岸里べの春浅み屋上をくじやうの雪りてうごかず

あめのなか光りは出でて今はいま雪さんらんとかがやきにけり

角兵衛のをさなわらべのをさなさに涙ながれてわれは見んとす

笛の音のとろりほろろと鳴りたれば紅色こうしよくの獅子あらはれにけり

いとけなきひたひのうへにくれなゐの獅子のあたまを見そめしかもよ

春のかぜ吹きたるならむ目のもとのひかりのなかに塵うごく見ゆ

ながらふる日光のなか一いろに我のいのちのめぐるなりけり

あかあかと日輪てんにまはりしが猫やなぎこそひかりそめぬれ

くれなゐの獅子のあたまはあめなるや廻転光くわいてんくわうにぬれゐたりけり (一月作)

13 さんげの心

雪のなかに日の落つる見ゆほのぼのと懺悔さんげの心かなしかれども

こよひはや学問したき心起りたりしかすがにわれは床にねむりぬ

風引きて寝てゐたりけり窓の戸に雪ふるきこゆさらさらといひて

あわ雪はなば消ぬがにふりたればまなこ悲しくぬらくを見む

腹ばひになりて朱の墨すりしころ七面鳥に泡雪はふりし

ひる日中ひなか床のなかより目をひらき何か見つめんと思ほえにけり

雪のうへ照る日光のかなしみに我がつく息はながかりしかも

赤電車にまなこ閉づれば遠国をんごくへ流れてなむこころ湧きたり

家ゆりてとどろと雪はなだれたり今夜こよひ最早もはや幾時いくときならむ

しんしんと雪ふる最上もがみかみやま弟は無常を感じたるなり

ひさかたのひかりに濡れてしゑやし弟は無常を感じたるなり

電灯の球にたまりしほこり見ゆすなはち雪はなだれ果てたり

天霧らし雪ふりてなんぢが妻は細りつついきをつかんとすらし

あまつ日に屋上の雪かがやけりしづごころ無きいまのたまゆら

しろがねのかがよふ雪に見入りつつ何を求めむとする心ぞも

いまわれはひとり言いひたれどもあはれ哀れかかはりはなし

家にゐて心せはしく街ゆけば街には女おほくゆくなり (一月作)

14 墓前

ひつそりと心なやみて水かける松葉ぼたんはきのふ植ゑにし

しらじらと水のなかよりふふみたる水ぐさの花小さかりけり (八月作)

明治四十五年 大正元年

1 雪ふる日

かりそめに病みつつ居ればうらがなし墓はらとほく雪つもる見ゆ

現身うつしみのわが血脈けちみやくのやや細り墓地にしんしんと雪つもる見ゆ

あまきらし雪ふる見ればいひをくふ囚人しうじんのこころわれに湧きたり

わが庭にあひるら啼きてゐたれども雪こそつもれ庭もほどろに

ひさかたのあめの白雪ふりきたり幾とき経ねばつもりけるかも

批把の木の木ぬれに雪のふりつもる心愛憐あはれみしまらくも見し

さにはべの百日紅のほそり木に雪のうれひのしらじらと降る

天つ雪はだらに降れどさにづらふ心にあらぬ心にはあらぬ (十二月作)

2 宮盆坂

荘厳しやうごんのをんなほつして走りたるわれのまなこに高山たかやまの見ゆ

風を引き鼻汁はなながれたる一人男ひとりをは駆足をせず富士の山見けり

これやこの行くもかへるもおも黄なる電車終点の朝ぼらけかも

狂者きやうじやもり眼鏡めがねをかけて朝ぼらけ狂院へゆかず富士の山見居り

馬に乗りりくぐん将校きたるなり女難の相かしかにあらずか

向ひには女は居たり青き甕もち童子どうじになにかいひつけしかも

天竺のほとけの世より女人をんな居りこの朝ぼらけをんな行くなり

雪ひかる三国一の富士山ふじさんをくちびる紅き女も見たり (十二月作)

3 折に触れて

くろぐろとつぶらにるる豆柿に小鳥はゆきぬつゆじもはふり

蔵王山に雪かもふるといひしときはやはだらなりといらへけらずや

狂者らは Paederastie をなせりけり夜しんしんと更けがたきかも

ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕やまこ殺ししその日おもほゆ

をりをりは脳解剖書読むことありゆゑ知らに心つつましくなり

水のうへにしらじらと雪ふりきたり降りきたりつつ消えにけるかも

身ぬちに重大を感ぜざれども宿直とのゐのよるにうなじ垂れゐし

このさとに大山大将住むゆゑにわれの心の嬉しかりけり (十二月)

4 青山の鉄砲山

赤き旗けふはのぼらずどんたくの鉄砲山に小供らが見ゆ

日だまりのなかに同様のうなゐらは皆走りつつ居たりけるかも

銃丸を土より掘りてよろこべるわらべのそばを行きぎりけり

青竹を手に振りながら童子どうじ来て何か落ちゐぬおももちをせり

ゆふ日とほくきんにひかれば群童はつむりて斜面をころがりにけり

群童が皆ころがれば丘のへの童女どうぢよかなしく笑ひけるかも

いちにんの童子ころがり極まりて空見たるかな太陽が紅し

射的場に細みづ湧きて流れければわらべふたりが水のべに来し (十月作)

5 ひとりの道

霜ふればほろほろと胡麻ごまの黒き実のつちにつくなし今わかれなむ

ゆふりし露霜ふみて火を恋ひむ一人ひとりのゆゑにこころ安けし

ながらふるさ霧のなかに秋花をわれ摘まんとす人に知らゆな

白雲は湧きたつらむかわれひとり行かむと思ふ山のはざまに

神無月空の果てよりきたるときひらく花はあはれなるかも

ひとりなれば心安けし谿ゆきてくちびる触れむ木の実ありけり

ひかりつつあめを流るる星あれど悲しきかもよわれに向はず

行くかたのうら枯るる野に鳥落ちて啼かざりしかも入日いりひ赤きに

いのち死にてかくろひ果つるけだものを悲しみにつつかひに入りけり

みなし児に似たるこころは立ちのぼる白雲に入りて帰らんとせず

もみぢ斑に照りとほりたる日の光りはざまにわれを動かざらしむ

わが歩みここに極まれ雲くだるもみぢ斑のなかに水のみにけり

はるばるも山峡やまかひに来て白樺にさやりて居たりひとりなりけり

ひさかたのあめのつゆじもしとしとと独り歩まむ道ほそりたり (十一月作)

6 葬り火 黄涙余録の一

あらはなるひつぎはひとつかつがれて穏田ばしを今わたりたり

自殺せし狂者きやうじやくわんのうしろより眩暈めまひして行けり道に入日いりひあかく

陸橋にさしかかるときへい来ればひつぎはしましつちに置かれぬ

泣きながすわれのなみだなりとも人に知らゆな悲しきなれば

からすらはわれはねむりて居たるらむ狂人きやうじん自殺じさつ果てにけるはや

死なねばならぬいのちまもりて看護婦はしろき火かかぐ狂院のよるに

みづからのいのち死なんとひたいそぐ狂人をりて火も恋ひねども

土のうへに赤棟蛇やまかがし遊ばずなりにけり入る日あかあかと草はらに見ゆ

歩兵隊代々木よよぎのはらに群れゐしが狂人きやうじんのひつぎひとつ行くなり

赤光しやくくわうのなかに浮びてくわんひとつ行きはるけかり野ははてならん

わが足より汗いでてやや痛みあり靴にたまりし土ほこりかも

火葬場に細みづ白くにごりむかうにひとが米を磨ぎたれば

死はも死はも悲しきものならざらむ目のもとに木の実落つたはやすきかも

両手をばズボンの隠しに入れ居たりおのが身をしと思はねどさびし

はふり火は赤々と立ち燃ゆらんか我がかたはらに男りけり

うそ寒きゆふべなるかも葬り火をまもるをとこが欠伸をしたり

骨瓶こつがめのひとつを持ちてを問へりわがくちは乾くゆふさりきた

納骨の箱は杉の箱にしてこつがめは黒くならびたりけり

上野うへのなる動物園にかささぎは肉食ひゐたりくれなゐの肉を

おのが身しいとほしきかなゆふぐれて眼鏡めがねのほこり拭ふなりけり

7 冬来 黄涙余録の二

自殺せる狂者きやうじやをあかき火にはふりにんげんの世にをののきにけり

けだものはたべもの恋ひて啼き居たりなにといふやさしさぞこれは

ペリガンのくちはしうすら赤くしてねむりけりかたはらの水光みづひかりかも

ひたいそぎ動物園にわれはたり人のいのちをおそれてたり

わが目より涙ながれて居たりけりつるのあたまは悲しきものを

けだもののにほひをかげば悲しくもいのちはあかく息づきにけり

支那しなこくのほそき少女をとめの行きなづみ思ひそめにしわれならなくに

さけび啼くけだもののひそみゐて赤きはふりの火こそ思へれ

鰐の子も居たりけりみづからの命死なんとせずこの鰐の子は

くれなゐの鶴のあたまを見るゆゑに狂人守きやうじんもりをかなしみにけり

はしきやし暁星学校の少年のほほは赤羅ひきて冬さりにけり

泥いろの山椒魚は生きんとし見つつしをればしづかなるかも

除隊兵写真をもちて電車に乗りひんがしのあめ明けて寒しも

はるかなる南のみづに生れたる鳥ここにゐてなにしみ啼く

8 柿乃村人へ 黄涙余録の三

この夜ごろ眠られなくに心すら細らんとして告げやらましを

たのまれし狂者きやうじやはつひに自殺せりわれうつつなく走りけるかも

友のかほ青ざめてわれにもの云はず今は如何なる世のすがたかや

おのが身はいとほしければ赤棟蛇も潜みたるなり土のなかふかく

世の色相いろのかたはらにゐて狂者もり黄なる涙は湧きいてにけり

やはらかに弱きいのちもくろぐろとよろはんとしてうつつともなし

寒ぞらに星ゐたりけりうらがなしわが狂院をここに立ち見つ

かの岡に瘋癩院のたちたるは邪宗来じやしゆうらいより悲しかるらむ

みやこにも冬さりにけりあかねさす日向ひなたのなかに髭剃りて

遠国をんごくへ行かば剃刀かみそりのひかりさへ馴れてしたしといへばなげかゆ (十一月作)

9 郊外の半日

今しがた赤くなりて女中を叱りしが郊外に来てさむけをおぼゆ

郊外はちらりほらりと人行きてわが息づきはなごむとすらん

郊外にいまだ落ちゐぬこころもて螇蚸ばつたにぎればつめたきものを

秋のかぜ吹きてゐたればをちかたのすゝきのなかに曼珠沙華赤し

ふた本の松立てりけり下かげに曼珠沙華赤し秋かぜが吹き

いちめんの唐辛子畑に秋のかぜあめより吹きてからすおりたつ

いちめんに唐辛子あかき畑みちに立てるわらべのまなこ小さし

曼珠沙華咲けるところゆ相むれて現身うつしみに似ぬ囚人は出づ

草の実はこぼれんとして居たりけりわが足元あしもとの日の光かも

赭土はにはこぶ囚人しうじんの光るころ茜さす日は傾きにけり

トロツコを押す一人いちにんの囚人はくちびる赤しわれをば見たり

片方かたほうに松二もとは立てりしが囚はれびと其処そこを通りぬ

秋づきて小さくりし茄子の果をに盛る家の日向に蠅居り

女のわらは入日のなかに両手もろてもてに盛る茄子のか黒きひかり

あまつたふ日は傾きてかくろへば栗煑る家にわれいそぐなり

いとまなきわれ郊外にゆふぐれて栗飯せば悲しこよなし

コスモスの闇にゆらげばわが少女をとめ天の戸に残る光を見つつ (十月作)

10 海辺にて

真夏の日てりかがよへり渚にはくれなゐの玉ぬれてゐるかな

海の香は山の彼方にうまれたるわれのこころにこよなしかしも

七夜ななよ寝て珠ゐる海の香をかげば哀れなるかもこの香いとほし

白なみの寄するなぎさに林檎む異国をみなはやや老いにけり

あぶらなす真夏のうみに落つる日の八尺やさかあけのゆらゆらに見ゆ

きこゆるは悲しきさざれうちひた潮波うしほなみとどろ湧きたるならむ

うしほ波鳴りこそきたれ海恋ひてここにわれに鳴りてこそ

もも鳥はいまだは啼かねわたのなか黒光りして明けくるらむか

岩かげに海ぐさふみて玉ひろふくれなゐの玉むらさきのたま

海の香はこよなく悲し珠ひろふわれのこころにみてこそ寄れ

桜実さくらごの落ちてありやと見るまでに赤き珠住む岩かげを来し

ながれ寄る沖つ藻見ればみちのくの春野小草に似てを悲しも

荒磯ありそべになげくともなき蟹の子のとこくれなゐに見ゆらむあはれ

かすかなるいのちをもちて海つものうつくしくゐる荒磯ありそなるかな

いささかの潮のたまりに赤きもの生きてたれば嬉しむかな

荒磯べに波見てをればわが血なしまたたきのひまもかなしかりけり

海のべに紅毛こうまうの子の走りたるこのやさしさにわれかへるなり

かぎろひの夕なぎ海に小舟入れ西方さいはうのひとはゆきにけるはも

くれなゐの三角の帆がゆふ海に遠ざかりゆくゆらぎ見えずも

月ほそく入りなんとする海の上ここよ遥けく舟なかりけり

ぬば玉のさ夜ふけにして波の穂の青く光れば恋しきものを

けふもまた岩かげに来つ靡き藻に虎斑とらふ魚の子かくろへる見ゆ

しほなりのゆくへ悲しと海のべに幾夜か寝つるこの海のべに

11 狂人守

うけもちの狂人きやうじんも幾たりか死にゆきてをりをりあはれを感ずるかな

かすかなるあはれなるすがたありこれのすがたに親しみにけり

くれなゐの百日紅は咲きぬれどこのきやうじんはもの云はずけり

としわかき狂人守きやうじんもりのかなしみは通草の花の散らふかなしみ

気のふれし支那のをみなに寄り添ひて花は紅しと云ひにけるかな

このゆふべ脳病院の二階より墓地ぼち見れば花も見えにけるかな

ゆふされば青くたまりし墓みづに食血じきけつ餓鬼がきは鳴きかゐるらむ

あはれなる百日紅の下かげに人力車じんりきひとつ見えにけるかな (九月作)

12 土屋文明へ

おのが身をあはれとおもひ山みづに涙を落す人居たりけり

ものみなのゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑきこ

もの書かむと考へゐたれ耳ちかく蜩なけばあはれにきこゆ

夕さればむらがりて来る油むし汗あえにつつ殺すなりけり

かかる時菴羅あんらの果をも恋ひたらば心落居むとおもふ悲しみ

むらさきの桔梗のつぼみ割りたればしべあらはれてにくからなくに

秋ぐさの花さきにけり幾朝をみづ遣りしかとおもほゆるかも

ひむがしのみやこの市路ひとつのみ朝草ぐるま行けるさびしも (七月作)

13 夏の夜空

墓原に来て夜空よぞら見つ目のきはみ澄み透りたるこの夜空かな

なやましき真夏なれどもあめなれば夜空よぞらは悲しうつくしく見ゆ

きやうじんりつつ住めば星のゐる夜ぞらもひさに見ずて経にけり

目をあげてきよきあまはら見しかどもとほめづらのここちこそすれ

ひさびさに夜空を見ればあはれなるかな星群れてかがやきにけり

空見ればあまた星居りしかれども弥々いよいよとほくひかりつつ見ゆ

汗ながれてちまたの長路ながぢゆくゆゑにかうべ垂れつつ行けるなりけり

久ひさに星ぞらを見てりしかばおのれ親しくなりてくるかも (七月作)

14 折々の歌

とろとろとあかき落葉火もえしかばわらはをどりけるかも

雨ひと夜さむき朝けを目のもとの死なねばならぬ鳥見て立てり

をんなる街の悲しきひそみ土ここに白霜は消えそめにけり

猫の舌のうすらに紅き手のりのこの悲しさに目ざめけるかも

ほのかなる茗荷の花を見守みもる時わが思ふ子ははるかなるかも

をさな児の遊びにも似しがけふも夕かたまけてひもじかりけり (研究室二首)

かがまりて脳の切片せつへんめながら通草あけびのはなをおもふなりけり

みちのくの我家わぎへの里に黒きが二たびねぶり目ざめけらしも (故郷三首)

みちのくに病む母上にいささかの胡瓜きうりを送るさはりあらすな

おきなぐさにくちびるふれて帰りしがあはれあはれいま思ひ出でつも

曼珠沙華ここにも咲きてきぞの夜のひと夜のすがたあらはれにけり

秋に入る練兵場のみづたまりに小蜻蛉こあきつが卵を生みて居りけり

現身うつしみのわれをめぐりてつるみたる赤き蜻蛉とんぼが幾つも飛べり

酒の糟あぶりてむろむこころ腎虚じんきよのくすり尋ねゆくこころ

けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人をはふりたるかな

何ぞもとのぞき見しかば弟妹いろとらは亀に酒をば飲ませてゐたり

太陽はかくろひしより海のうへあめ血垂ちたりのこころよろしき

狂院に寝てをれば夜はるしに触るるなし蟾蜍ひきは啼きたり

伽羅ぼくに伽羅の果こもりくろき猫ほそりてあゆむ夏のいぶきに

蛇の子はぬば玉いろにれたれば石のひまにもかくろひぬらむ

ほそき雨墓原に降りぬれてゆく黒土に烟草の吸殻を投ぐ

墓はらを白足袋はきて行けるひと遠く小さく悲しかりけり

萱草くわんざうをかなしと見つる眼にいまは雨に濡れ行く兵隊が見ゆ

墓はらを歩み来にけり蛇の子を見むと来つれど春あさみかな

病院をいでて墓原かげの土踏めばなにになごみ来しあが心ぞも

松風の吹きるところくれなゐの提灯つけて分け入りにけり

15 さみだれ

さみだれはなにに降りくる梅の実はみて落つらむこのさみだれに

にはとりの卵の黄身の乱れゆくさみだれごろのあぢきなきかな

胡頽子ぐみの果のあかき色ほに出づるゆゑに出づるゆゑに歎かひにけり (おくにを憶ふ)

ぬば玉のさ夜の小床にねむりたるこの現身うつしみはいとほしきかな

しづかなる女おもひてねむりたるこの現身はいとほしきかな

鳥の子のすもりに果てむこの心もののあはれと云はまくは憂し

あが友の古泉千樫は貧しけれさみだれの中をあゆみゐたりき

けふもまた雨かとひとりごちながら三州味噌をあぶりてむも (六月作)

16 両国

肉太ししぶと相撲すまうとりこそかなしけれ赤き入り日にかげをしたり

川向かはむかうの金の入日をいまさらに今さらさらにわれも見入りつ

猿の肉ひさげる家にがつきてわが寂しさは極まりにけり

猿のおもいと赤くして殺されにけり両国ばしを渡り来て見つ

きなくさき火縄おもほゆ薬種屋に亀の甲羅のぶらさがり見ゆ

笛鳴ればかかれとてしもぬば玉のともりて舟ゆきにけり

冬河の波にさやりてのぼる舟橋のべに来て帆を下ろしつつ

あかき面安らかに垂れをさな猿死にてし居ればがあたりたり (一月作)

17 犬の長鳴

よる深くふと握飯にぎりめし食ひたくなりにぎりめし食ひぬ寒がりにつつ

わがからだねむらむとしてゐたるときそとはこがらしの行くおときこゆ

遠く遠く流るるならむをゆりて冬の疾風はやちは行きにけるかも

長鳴くはかの犬族けんぞくのなが鳴くは遠街をんがいにして火は燃えにけり

さ夜ふけと夜の更けにける暗黒あんこにびようびようと犬は鳴くにあらずや

たちのぼるほのほのにほひ一天ひとあめさかりて犬は感じけるはや

の底をからくれなゐに燃ゆる火のあめりたれ長鳴ながなききこゆ

生けるものうつつに生けるけだものはくれなゐの火に長鳴きにけり (二月作)

18 木こり 羽前国高湯村

常赤とこあかく火をしかんとうつ木原きはらへのぼるこころのひかり

山腹やまはらの木はらのなかへ堅凝かたこりのかがよふ雪を踏みのぼるなり

てんのもと光りにむかふ楢木ならきはららんとぞする男とをんな

をとこれをんなはれてひさかたのてんの下びに木をりにけり

さんらんとひかりのなかに木伐きこりつつにんげんの歌うたひけるかも

ゆらゆらと空気をりてられたりけり斧のひかれば大木おほきひともと

山上さんじやうに雲こそたれをのふりてやまがつの目はかがやきにけり

うつそみの人のもろもろはきんとし天然てんねんのなかに斧ふり行くも

斧ふりてるそばに小夜床さよどこほとのかなしさ歌ひてゐたり

もろともに男のおもの赤赤と小雀こがらもゐつつ山みづの鳴る

雲のうへに行けるをんなは堅飯かたいひ赤子あかごを背負ひうたひて行けり

雪のべに火がとろとろと燃えぬれば赤子あかごちゝをのみそめにけり

うち日さすみやこをいでてほそりたるわれのこころを見んとおもへや

杉の樹のはだへに寄ればあなかなし くれなゐのあぶら滲みいづるかなや

はるばるも来つれこころは杉の樹のあけの油に寄りてなげかふ

遠天をんてんに雪かがやけば木原なる大鋸おがくづ越えて小便をせり

みちのくの蔵王ざわうの山のやま腹にけだものと人と生きにけるかも (二月作)

19 木の実

しろがねの雪ふる山に人かよふ細ほそとして路見ゆるかな

赤茄子の腐れてゐたるところより幾程いくほどもなき歩みなりけり

満ち足らふ心にあらぬ 谷つべにをふける木の実をむこころかな

山とほく入りても見なむうら悲しうら悲しとぞ人いふらむか

紅茸べにたけの雨にぬれゆくあはれさを人に知らえず見つつ来にけり

山ふかく谿の石原いしはらしらじらと見えるほどのいとほしみかな

かうべ垂れがゆく道にぽたりぽたりとちの木の実は落ちにけらずや

ひとりて朝のいひ食むが命は短かからむとひて飯はむ (一月作)

20 睦岡山中

さむざむとゆふぐれて来る山のみち歩めば路は湿れてゐるかな

山ふかき落葉のなかにゆふのみづてんよりりてひかり居りけり

何もののまなこのごときひかりみづ山の木はらに動かざるかも

現し身のひとみかなしく見入りぬる水はするどく寒くひかれり

都会のどよみをとほくこの水に口触れまくは悲しかるらむ

天さかるひなの山路にけだものの足跡ああとを見ればこころよろしき

なげきよりめて歩める山峡やまかひに黒き木の実はこぼれ腐りぬ

寂しさに堪へて空しきが肌になにか触れて悲しかるもの

ふゆ山にひそみて玉のあかき実をついばみてゐる鳥見つ今は

風おこる木原きはらをとほく入りつ日の赤き光りはふるひ流るも

赤光しやくくわうのなかの歩みはひそか夜の細きかほそきゆめごころかな (一月作)

21 或る夜

くれなゐの鉛筆きりてたまゆらはつゝまましきかなわれのこころの

をさな妻をとめとなりて幾百日いくもゝかこよひも最早もはや眠りゐるらむ

ねがてにわれ烟草すふ烟草すふ少女をとめ最早もはや眠りゐるらむ

いま吾は鉛筆をきるその少女安心あんしんをして眠りゐるらむ

わが友は蜜柑むきつつしみじみとはやいだきねといひにけらずや

けだものの暖かさうないねすがた思ひうかべて独りねにけり

寒床さむとこにまろく縮まりうつらうつら何時のまにかも眠りゐるかな

水のべの花の小花の散りどころ盲目めしひになりていだかれて呉れよ (一月作)

明治四十四年

1 此の日頃

よるさむく火を警むるひようしぎの聞え来る頃はひもじかりけり

この宵はいまだ浅けれ床ぬちにのびつつ何か考へむとおもふ

尺八のほろほろと行く悲しはこの世のはてに遠ざかりなむ

入りつ日の赤き光のみなぎらふ花野はとほくくるなり

さだめなきもののおそひの来る如くむなゆらぎして街をいそげり

うらがなしいかなる色のひかりはやわれのゆくへにかがよふらむか

生くるもの我のみならずうつし身の死にゆくを聞きつついひしにけり

をさな児のひとり遊ぶを見守みまりつつ心よろしくなりてくるかも (一月作)

2 おくに

なにかひたかりつらむそのことへなくなりてなれは死にしか

はや死にてゆきしかいましいとほしといのちのうちにはいひしかな

とほ世べになむ今際いまはの目にあはずなみだながらに嬉しむものを

なにゆゑに泣くとぬかなで虚言いつはりも死に近き子には言へりしか

これの世にきななんぢに死にゆかれ生きのいのちの力なしあれ

あのやうにかい細りつつ死にしがあはれになりてりがてぬかも

ひとたびはなほりて呉れよとうら泣きて千重にいひたる空しかるかな

この世にも生きたかりしか一念いちねんまうさずきしよあはれなるかも

なにもあはれになりて思ひづるお国のひと世はみぢかかりしか

にんげんの現実うつつは悲ししまらくもただよふごときねむりにゆかむ

やすらかなねむりもがもと此の日ごろねむりぐすりに親しみにけり

なげかひも人に知らえず極まればなにに縋りて吾は行きなむか

しみいたるゆふべのいろに赤くゐる火鉢のおきのなつかしきかも

現身うつしみのわれなるかなとなげかひて火鉢をちかく身に寄せにけり

ちから無く鉛筆きればほろほろとくれなゐの粉が落ちてたまるも

灰のへにくれなゐの粉の落ちゆくを涙ながしていとほしむかも

生きてゐるなれがすがたのありありとなにに今頃見えきたるかや (一月作)

3 うつし身

雨にぬるる広葉細葉のわか葉森あが言ふ声のやさしくきこゆ

いとまなき吾なればいま時の間の青葉のゆれも見むとしおもふ

しみじみととおのに親しきわがあゆみ墓はらの蔭に道ほそるかな

やはらかに濡れゆく森のゆきずりにいきつかれの吾をこそ思へ

よにも弱き吾なれば忍ばざるべからず雨ふるよ若葉かへるで

にんげんは死にぬかくのごとは生きてゆふいひしに帰へらなむいま

黒土に足駄の跡の弱けれどおのが力とかへり見にけり

うちどよむちまたのあひの森かげに残るみづ田をいとしくおもふ

青山の町蔭の田のさび田にしみじみとして雨ふりにけり

森かげの夕ぐるる田に白きとりうみとりに似しひるがへり飛ぶ

寂し田に遠来とほこ白鳥しらとり見しゆゑに弱ければはうれしくて泣かゆ

くわん草はたけややのびて湿しめりある土にそよげりこのいのちはや

はるの日のながらふ光に青き色ふるへる麦のねたくてならぬ

春浅き麦のはたけにうごく虫ぐさにはすれ悲しみわくも

うごき行く虫を殺してうそ寒く麦のはたけを横ぎりにけり

いとけなき心はふりのかなしさに蒲公英たんぽぽを掘るせとの岡べに

仄かにも吾に親しき予言かねごとをいはまくすらしき黄いろ玉はな (四月五月作)

4 うめの雨

おのが身をいとほしみつつ帰り来る夕細道ゆふほそみちに柿の花落つも

はかなき身も死にがてぬこの心君し知れらば共に行きなむ

さみだれのけならべ降れば梅の実のつぶら大きくここよりも見ゆ

あめそよぐほそ葉わか葉に群ぎもの心寄りつつなげかひにけり

かぎろひのゆふさりくれど草のみづかくれ水なれば夕光ゆふひかりなしや

ゆふ原の草かげ水にいのちいくるかへるはあはれ啼きたるかなや

うつそみの命はしとなげき立つ雨の夕原ゆふはらするものあり

くろく散る通草あけびの花のかなしさををさなくてこそおもひそめしか

おもひ出も遠き通草の悲し花きみに知らえず散りか過ぎなむ

道のべの細川もいま濁りみづいきほひながるよるの雨ふり

汝兄なえ汝兄なえたまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも

あぶなくも覚束おぼつかなけれ黄いろなる円きうぶ毛が歩みてゐたり

見てを居り心よろしも鶏の子はついばみながらゐねむりにけり

庭つとりかけのひよこもうらがなし生れて鳴けば母にし似るも

乳のまぬ庭とりの子はおのづからあはれなるかもよものみにけり

常のごと心足らはぬ吾にあれひもじくなりて今かへるなり

たまたまに手など触れつつ添ひ歩む枳殻からたち垣にほこりたまれり

ものがくれひそかに煙草すふ時の心よろしさのうらがなしかり

青葉空雨なりたれ吾いまこころ細ほそと別れゆくかも

天さかり行くらむ友に口寄せてひそかに何かいひたきものを (五月六月作)

5 蔵王山

蔵王をのぼりてゆけばみんなみの吾妻あづまの山に雲のゐる見ゆ

たちのぼる白雲のなかにあはれなる山鳩啼けり白くものなかに

ま夏日の日のかがやきに桜の実みて黒しもわれはみたり

あまつ日に目蔭まかげをすれば乳いろのたたへかなしきみづうみの見ゆ

死にしづむ火山のうへにわが母の乳汁ちしるの色のみづ見ゆるかな

秋づけばはらみてあゆむけだものもさんのみづなれば舌触りかねつ

蜻蛉あきつむらがり飛べどこのみづに卵うまねばかなしかりけり

ひんがしの遠空とほぞらにして絹いとのひかりは悲し海つ波なれば (八月作)

6 秋の夜ごろ

玉きはるいのちをさなく女童めわらはをいだき遊びき夜半よはのこほろぎ

こよひも生きてねむるとうつらうつら悲しき虫を聞きほくるなり

ことわりもなき物怨ものうらみ我身にもあるがいとしく虫ききにけり

少年の流されびとのいとほしと思ひにければこほろぎが鳴く

秋なればこほろぎの子の生れ鳴く冷たき土をかなしみにけり

少年の流され人はさ夜の小床に虫なくよ何の虫よといひけむ

かすかなるうれひにゆるるわが心蟋蟀聞くに堪へにけるかな

蟋蟀の音にいづる夜の静けさにしろがねの銭かぞへてゐたり

紅き日の落つる野末の石の間のかそけき虫にあひにけるかも

足もとの石のひまより静けさに顫ひて出づる音にりにけり

入りつ日の入りかくろへば露満つる秋野の末にこほろぎ鳴くも

うちどよむちまたを過ぎてしら露のゆふ凝る原にわれは来にけり

星おほき花原くれば露は凝りみぎりひだりにこほろぎ鳴くも

ころろぎのかそけき原も家ちかみ今ほほ笑ふわらはきこゆ

はるばると星落つる夜の恋がたり悲しみの世にわれ入りにけり

濠のみづゆけばここに細き水流れ会ふかな夕ひかりつつ

わらはをとめとなりて泣きし時かなしく吾はおもひたりしか

さにづらふ少女ごころに酸漿ほほづきこもらふほどの悲しみを見し

ひとり歩む玉ひや冷とうら悲し月より降りし草の上の露

こほろぎはこほろぎゆゑに露原に音をのみぞ鳴く音をのみぞ鳴く (九月作)

7 折に触れて

なみだ落ちてなつかしむかもこのへやにいにしへ人は死に給ひにし (子規十周忌三首)

みづからをさげすみ果てし心すら此夜はあはれなごみてを居ぬ

しづかにをつむり給ひけむおのづからすべてはつめたくなり給ひけむ

涙ながししひそか事も、消ゆるかや、より秋なれば桔梗きちかうは咲きぬ (録三首)

きちかうのむらさきの花萎む時わが身はしとおもふかなしみ

さげすみ果てしこの身も堪へ難くなつかしきことありあはれあはれわが少女をとめ

栗の実のみそむるころ谿越えてかすかなる灯に向ふひとあり (録三首)

かどはかしに逢へるをとめのうつくしと思ひ通ひて谿越えにけり

うつくしき時代ときよなるかな山賊はもみづる谿にいのち落せし

おのづからうら枯るるらむ秋ぐさに悲しかるかもこもりにけり

ひさかたの霜ふる国にうま群れてながながし路くだるさみしみ

死に近き狂人をるはかなさにおのが身すらをしとなげけり

照り透るひかりのなかに消ぬべくも蟋蟀ととなげかひにけり

つかれつつ目ざめがちなるこの夜ごろ寐よりさめ聞くながれ水かな

朝さざれ踏みの冷めたくあなあはれ人のおもの湧ききたるかも

秋川のさヾれ踏み往き踏み来とも落ちゐぬ心君知るらむか

土のうへの生けるものらのひそむべくあな慌し秋の夜の雨

秋のあめ煙りて降ればさ庭べに七面鳥は羽もひろげず

寒ざむとひと夜の雨のふりしかば病める庭鳥をいたはり兼ねつ

ほそほそとこほろぎの音はみちのくの霜ふる国へとほ去りぬらむ

8 遠き世のガレーヌスは春のあけぼの Ornamentum loci をかなしみぬ。われは東海の国の伽羅の木かげ Pluma loci といひてなげかふ。

伽羅ぼくのこのみのごとく仄かなるはかなきものか pluma loci よ

ほのかなるものなりければをとめごはほほと笑ひてねむりたるらむ

明治四十三年

1 田螺と彗星

とほき世のかりようびんがのわたくし児田螺はぬるきみづ恋ひにけり

田螺はも背戸の円田まろたにゐると鳴かねどころりころりと幾つもゐるも

わらくずのよごれて散れる水無田みなしだに田螺の殻は白くなりけり

気ちがひのおもてまもりてたまさかは田螺も食べてよるいねにけり

赤いろのはちすまろ葉の浮けるとき田螺はのどにみごもりぬらし

味噌うづの田螺たうべて酒のめば我が咽喉仏のどぼとけうれしがり鳴る

南蛮の男かなしと恋ひ生みし田螺にほとけの性ともしかり

ためらはず遠天に入れと彗星の白きひかりに酒たてまつる

うつくしく瞬きてゐる星ぞらに三尺みさかほどなるははき星をり

きさらぎのあめたかくして彗星ほうきぼしありまなこ光りてもろもろは見る

入り日ぞら暮れゆきたれば尾を引ける星にむかひて子等走りたり

2 南蛮男

くれなゐの千しほのころも肌につけゆららゆららに寄りもこそ寄れ (録八首)

南蛮なんばんのをとこかなしといだかれしをだまきの花むらさきのよる

なんばんの男いだけば血のこゑすその時のまの血のこゑかなし

南より笛吹きて来る黒ふねはつばくらめよりかなしかりけり

夕がらすそらに啼ければにつぽんのをんなのくちもあかく触りぬれ

入り日ぞら見たる女はうらぐはし乳房ちぶさおさへて居たりけるかな

ひとみ青きをとこ悲しと島をとめほのぼのとしてみごもりにけり

なんばんの黒ふねゆれてはてし頃みごもりし人いまは死にせり

にほひたる畳のうへに白たまの静まりたるを見すぐしがてぬ (録三首)

しらたまの色のにほひをあはれとぞ見し玉ゆらのわれやつみびと

罪ひとの触れんとおもふしら玉のをののきたらばすべなからまし

3 をさな妻

墓はらのとほき森よりほろほろとのぼるけむりに行かむとおもふ

木のもとに梅はめば酸しをさな妻ひとにさにづらふ時たちにけり

をさな妻こころに持ちてありれば赤き蜻蛉とんぼの飛ぶもかなしも

目を閉づれすなはち見ゆる淡々し光に恋ふるもさみしかるかな

ほこり風立ちてしづまるさみしみを市路ゆきつつかへりみるかも

このゆふべ塀にかわけるさびあけのべにがらの垂りをうれしみにけり

公園に支那のをとめを見るゆゑに幼な妻もつこの身しけれ

はしあかき小鳥さへこそ飛ぶならめはるばる飛ばは悲しきろかも

細みづにながるる砂の片寄りに静まるほどのうれひなりけり

水さびゐる細江の面に浮きふふむこの水草はうごかざるかな

汗ばみしかうべを垂れて抜け過ぐる公園に今しづけさに会ひぬ

をさな妻をさなきままにその目より涙ながれて行きにけるかも

をだまきの咲きし頃よりくれなゐにゆららに落つる太陽こそ見にけれ

をさな妻ほのかにまもる心さへ熱病みしより細りたるなれ (折々の作)

4 悼堀内卓

堀内はまこと死にたるかありの世かいめ世かくやしいたましきかも

信濃路のゆく秋の夜のふかき夜をなにをひつつ死にてゆきしか

うつそみの人の国をば君去りて何辺いづべにゆかむちちははをおきて

はやはやもなほりて来よとむわれになにゆゑに逝きし一言ひとこともなく

いまよりはまことこの世に君なきかありと思へどうつつにはなきか

深き夜のとづるまなこにおもかげに見えくる友をなげきわたるも

霜ちかき虫のあはれを君と居て泣きつゝ聞かむとおもひたりしか (十月作)

自明治三十八年 至明治四十二年

1 折に触れ 明治三十八年作

黒き実のつぶらつぶらとひかる実の柿は一本いつぽんたちにけるかも

浅草の仏つくりの前来れば少女をとめまぼしく落日いりひを見るも

ほんよみて賢くなれと戦場のわがは銭を呉れたまひたり

戦場のわがより来し銭もちて泣きゐたりけり涙が落ちて

桑畑の畑のめぐりに紫蘇ひてちぎりて居ればにほひするかも

はるばると母はいくさひたまふ桑の木の実は熟みゐたりけり

けふの日は母の辺にゐてくろぐろとめる桑の実みにけるかも

かがやける真夏日のもとたらちねはいくさを思ふ桑の実くろし

馬屋まやのべにをだまきの花とぼしらにをりをり馬が尾を振りにけり

数学のつもりになりて考へしに五目並べに勝ちにけるかも

熱いでて一夜ひとよ寝しかばこの朝け梅のつぼみをつばらかに見つ

春かぜの吹くことはげし朝ぼらけ梅のつぼみは大きかりけり

入りかかる日の赤きころニコライのそばの坂をばりて来にけり

寝て思へばいめごとかり山焼けて南の空はほの赤かりし

さ庭べの八重山吹の一枝ちりしばらく見ねばみな散りにけり

日輪がすでに真赤になりたれば物干ものほしにいでて欠伸せりけり

ゆふさりてランプともせばひと時は心静まりて何もせず居り

2 地獄極楽図 明治三十九年

浄玻瓈じやはりにあらはれにけり脇差わきざしを差してをんなをいぢめるところ

いひなかゆとろとろとのぼほのほ見てほそき炎口ゑんくのおどろくところ

赤きいけにひとりぼつちの真裸まはだかのをんな亡者もうじやの泣きゐるところ

いろいろの色の鬼ども集りてはちすはなにゆびさすところ

人の世にうそをつきけるもろもろの亡者もうじやの舌を抜きるところ

罪計つみはかりに涙ながしてゐる亡者もうじやつみを計ればいはほより重き

にんげんは馬牛うまうしとなり岩負ひて牛頭ごづ馬頭めづどもの追ひ行くところ

をさな児の積みし小石を打くづしこんいろの鬼見てゐるところ

もろもろははだかになれところも剥ぐひとりの婆の口赤きところ

白きはなしろくかがやき赤き華赤き光りを放ちゐるところ

ゐるものは皆ありがたき顔をして雲ゆらゆらとり来るところ

蛍 昼見れば首筋あかき蛍かな 芭蕉

へやに放ちしほたるあかねさす昼なりければ首は赤しも

蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びて居りけり

あかときの草の露たま七いろにかがやきわたり蜻蛉とんぼれけり

あかときの草に生れて蜻蛉あきつはも未だやはらかみ飛びがてぬかも

小田のみち赤羅ひく日はのぼりつつれし蜻蛉とんぼもかがやきにけり (明治三十九年作)

折に触れて 明治三十九年作

来て見れば雪げの川べ白がねの柳ふふめり蕗の薹も咲けり (二首)

あづさ弓春は寒けど日あたりのよろしき所つくづくし萌ゆ

生きて丈夫ますらをがおも赤くなりをどるを見れば嬉しくて泣かゆ (二首)

凱旋かへり来て今日のうたげに酒をのむ海のますらをに髯あらずけり

み仏のれましの日と玉蓮たまはちすをさなあけの葉池に浮くらし (二首)

み仏のみ堂に垂るる藤なみの花の紫いまだともしも

青玉のから松の芽はひさかたのあめにむかひて並びてを萌ゆ (二首)

春さめは天の乳かも落葉松の玉芽あまねくふくらみにけり

みちのくのほとけの山のこごしこごし岩秀いはほに立ちて汗ふきにけり (立石寺)

天の露落ちくるなべに現し世の野べに山べに秋花咲けり

涅槃会をまかりて来れば雪つめる山の彼方は夕焼のすも

小滝まで行かむは未だくたびれの息つく坂よ山鳩のこゑ

夕ひかる里つ川水夏くさにかくるる所まろき山見ゆ

淡青たんじやうとほのむら山たびごろもわが目によしと寝てを見にけり

火の山をめぐる秋雲の八百雲をゆらに吹きまく天つ風かも (蔵王山五首)

岩の秀に立てばひさかたの天の川南に垂れてかがやきにけり

天なるや群がりめぐる高ぼしのいよいよ清く山高みかも

雲の中の蔵王ざわうの山は今もかもけだもの住まず石あかき山

あめなるや月読の山はだら牛うち臥すなして目に入りにけり

病癒えし君がにぎおもの髯あたり目にし浮びてうれしくてならず (蕨真氏病癒ゆ)

5 虫 明治四十年作

花につく朱の小蜻蛉あきつゆふさればねむりけらしもこほろぎが鳴く

とほ世べの恋のあはれをこほろぎのかたが夜々つぎかたりけり

月落ちてさ夜ほの暗く未だかも弥勒みろくは出でず虫鳴けるかも

ヨルダンの河のほとりに虫なくとふみに残りて年ふけにけり

なが月の清きよひよひ蟋蟀やねもころころに率寝ゐねて鳴くらむ

きのふ見し千草もあらず虫の音も空に消入りうらさびにけり

あきの夜のさ庭に立てばつちの虫音は細細と悲しらに鳴く

なが月の秋ゑらぎ鳴くこほろぎに螻蛄けらも交りてよき月夜かも

6 雲 明治四十年作

かぎろひの夕べの空に八重なびく朱の雲旗とほにいざよふ

岩根ふみ天路をのぼる脚底ゆいかづちぐもの湧き巻きのぼる

蔵王の山はらにして目を放つ磐城の諸嶺もろねくも湧ける見ゆ

底知らに瑠璃のただよふあめに凝れる白雲誰まつ白雲

岩ふみて吾立つやまの火の山に雲せまりくる五百つ白雲

遠ひとに吾恋ひ居れば久かたの天のたな雲に鶴飛びにけり

あめつちの寄り合ふきはみ晴れとほる高山の背に雲ひそむ見ゆ

八重山の八谷かぜ起りひさかたの天に白雲のゆらゆらと立つ

たくひれのかけのよろしき妹が名の豊旗雲と誰がいひそめし

小旗ぐも大旗雲のなびかひに今し八尺やさかの日は入らむとす

いなびかりふくめる雲のたたずまひ物ほしにのりてつくづくと見つ

ひと国をはるかに遠き天ぐもの氷雲ひぐものほとり行くは何ぞも

雲に入る薬もがもと雲恋ひしもろこしの君は昔死にけり

ひむがしの天の八重垣しろがねと笹べり赫く渡津見の雲

7 苅しほ 明治四十年作

秋のひかり土にしみ照り苅しほに黄ばめる小田を馬が来る見ゆ

竹おほき山べの村の冬しづみ雪降らなくにかんに入りけり

ふゆの日のうすらに照れば並み竹は寒ざむとして霜しづくすも

窓のに月照りしかば竹の葉のさやのふるまひあらはれにけり

しもの夜のさ夜のくだちに戸を押すや竹群が奥にあけの月みゆ

竹むらの影にむかひて琴ひかば清搔すががきにしも引くべかりけり

月あかきもみづる山に小猿ども天つ領巾ひれなどりしてをらむ

猿の子の目のくりくりを面白み日の入りがたをわがかへるなり

8 留守居 明治四十年作

まもりゐの縁の入り日に飛びきたり縄がをもむに笑ひけるかも

一人して留守居さみしら青光る蝿のあゆみをおもひに見し

留守をもるわれの机にえ少女をとめのえ少男をとこの蝿がゑらぎ舞ふかも

秋の日の畳の上に飛びあよむ蝿の行ひ見つつ留守すも

入り日さすあかり障子はばら色にうすら匂ひて蝿一つとぶ

事なくて見ゐる障子に赤とんぼかうべ動かす羽さへふるひ

まもりゐのあかり障子にうつりたる蜻蛉は行きて何も来ぬかも

留守もりて入り日紅けれ紙ふくろ猫に冠せんとおもほえなくに

9 新年の歌 明治四十一年

今しいま年のきたるとひむがしの八百やほうづ潮に茜かがよふ

高ひかる日の母を恋ひめぐり廻り極まりてあめ新たなり

東海に磤馭慮おのころれていく継ぎの真日うるはしくあめけにけり

ひむがしのあけの八重ぐもゆ斑駒ふちごまに乗りてらしも年の若子わくご

年のはの真日のうるはしくれなゐを高きに上り目蔭まかげして見つ

新装にひよそふ日の大神の清明目あかしめを見まくと集ふうつしもろもろ

天明あめあかり年のきたるとくだかけの長鳴鳥ながなきどりがみな鳴けるかも

しだり尾のかけの雄鳥が鳴く声の野に遠音とほねして年明けにけり

ひむがしの空押し晴るしまもらへる大和島根に春立てるかも

うるはしと思ふ子ゆゑに命欲り夢のうつらと年明けにけり

沖つとりかもかもせむと初春にこころ問して見まくたぬしも

打日さす大城の森のこ緑のいや時じくに年ほぐらしも

豊酒の屠蘇に吾ゑへば鬼子ども皆死ににけり赤き青きも

くれなゐの梅はよろしもあらたまの年の端に見れば特によろしも

10 雑歌 明治四十一年作

あかときの畑の土のうるほひに散れる桐の花ふみて来にけり

青桐のしみの広葉の葉かげよりゆふべの色はひろごりにけり

ひむがしのともしび二つこの宵も相寄らなくてふけわたるかな

うつそみのこの世のくにに春はさり山焼くるかも天の足り夜を

ひさ方の天の赤瓊あかねのにほひなし遥けきかもよ山焼くる火は

うつしよは一夏いちげに入りて吾がこもる室の畳に蟻を見しかな

真夏日の雲の峯あめのひと方に夕退ゆふそきにつつかがやきにけり

荒磯ありそねに八重やへ寄る波のみだれたちいたぶる中の寂しさ思ふ

秋の夜をともししづかに揺るる時しみじみわれは耳かきにけり

ほそほそと虫啼きたれば壁にもたれ膝に手を組む秋のよるかも

旅ゆくとに下り立ちて冷々ひやひやに口そそぐべの月見ぐさのはな

11 塩原行 明治四十一年作

晴れとほるあめの果てに赤城根あかぎねの秋の色はも更け渡りけり

小筑波をつばを朝を見しかば白雲の凝れるかかむり動くともせず

関屋せきやいでて坂路さかぢになればちらりほらり染めたる木々が見えきたるかも

おり上り通り過がひしうま二つ遥かになりて尾を振るが見ゆ

山角やまかどにかへり見すれば歩み来し街道筋かいだうすぢは細りてはるけし

馬車とどろくだを吹き吹き塩はらのもみづる山に分け入りにけり

山路わだ紅葉はふかく山たかくいよよせまわがまなかひに

とうとうと喇叭を吹けば塩はらの深染こぞめの山に馬車入りにけり

つぬさはふ岩間を垂るるいは水のさむざむとして土わけ行くも

湯のやどのよるのねむりはもみぢ葉の夢など見つつねむりけるかも

夕ぐれの川べに立ちて落ちたぎつ流るる水におもひ入りたり

あかときを目ざめて居ればくだの音の近くに止みぬ馬車着けるらし

床ぬちにぬくまり居れば宿のが起きねといへど起きがてぬかも

世のしほと言のたふとき名に負へる塩はらの山色づきにけり

谷川の音をききつつ分け入れば一あしごとに山あざやけし

山深くひた入り見むと露じもに染みし紅葉を踏みつつぞ行く

三千尺みちさか目下ましたの極みかがよへる紅葉のそこに水たぎち見ゆ

かへりみる谷の紅葉の明らけく天に響かふ山がはの鳴り

現し我が恋心なす水の鳴りもみぢの中に籠りて鳴るも

山川のたぎちのどよみ耳底にかそけくなりて峯を越えつも

ふみて入るもみぢが奥は横はる朽ち木の下を水ゆく音す

山がはの水のいきほひ大岩にせまりきはまり音とどろくも

うつそみは常なけれども山川に映ゆる紅葉をうれしみにけり

うつし身の稀らにかよふ秋やまに親しみて鳴く蟋蟀のこゑ

打ちわたす山の雑木の黄にもみぢ明るき峡に道入りにけり

もみぢ原ゆふぐれしづむ蟋蟀はこのさみしみに堪へて鳴くなり

つかれより美しいめに入る如き思ひぞ吾がする蟋蟀のこゑ

もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りけり

しほ原の湯の出でどころとめ来ればもみぢの赤き所なりけり

山の湯のみなもとどころ鉄色かねいろにさびさびにけり草もおひなく

かねさびし湯の原のさ流れに蟹が幾つも死にてゐたりも

親馬にあまえつつ来る子馬にし心動きて過ぎがてにせり

あしびきの山のはざまの西開き遠くれなゐに夕焼くる見ゆ

橋のべのちひさかへろでかへり路になかくれなゐと染めて居りけり

天地のなしのまにまに寄り合へる貝の石あはれとことはにして

ほり出すいはほのひまの貝の石ただ珍しみありがてぬかも

玉ゆらのうれしごころもとはの世へ消えなく行かむはかなむ勿れ

おくやまの深き岩間ゆ海つもの石と成り出づ君に恋ふるとき

もみぢ葉の過ぎしを思ひ繁き世に触りつるなべに悲しみにけり

山峡のもみぢに深く相こもりほれ果てなむか峡のもみぢに

もみぢ斑の山の真洞に雲おり来雲はをとめの領巾ひれ濡らし来も

火に見ゆる玉手の動き少女らはなに天降あもりてもみぢをか焚く

天そそる白くもが上のいかし山夜見よみの国さび月かたむきぬ

まぼろしにもの恋ひ来れば山川の鳴る谷際たにあひに月満てりけり

12 折に触れて 明治四十二年作

潮沫しほなわのはかなくあらばもろ共にいづべの方にほろひてゆかむ

やうらくの珠はかなしとなげかひしをみなのこころうつらさびしも

よひあさくひとり居りけりみづひかりかはづひとつかいかいと鳴くも

をさな妻こころにまもり更けしづむ灯火ともしびの虫を殺してゐたり

かがまりて見つつかなしもしみじみと水湧き居れば砂うごくかな

夏晴れのさ庭の木かげ梅の実のつぶらの影もさゆらぎて居り

春闌けし山峡の湯にしづ籠りたらの芽しつつひとを思はず

馬に乗り湯どころ来つつ白梅のととのふ春にあひにけるかも

ひとり居てたまごうでつつたぎる湯にうごく卵を見つつうれしも

干柿を弟の子に呉れ居れば淡々と思ひいづることあり

ゆふぐれのほどろ雪路をかうべ垂れ湿れたる靴をはきて行くかも

世のなかの憂苦うけくも知らぬわらはの泣くことはあり涙ながして

春の風ほがらに吹けばひさかたのあめ高低たかひくに凧が浮べり

くわんざうの小さきもえを見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ

青山の町かげの田の畔みちをそぞろに来つれ春あさみかも

春あさき小田の朝道あかあかと金気かなけ浮く水にかぎろひのたつ

明けがたに近き夜さまのおのづから我心にし触るらく思ほゆ

天竺のほとけの世より子らがゑみにくからなくて君も笑むかな

さみだれはきのふより降り行々子よしきりをほのぼのやさしく聞く今宵かも

八百会やほあひのうしほ遠鳴るひむがしのわたつ天明あまあけ雲くだるなり

13 細り身 明治四十二年作

重かりし熱の病のかくのごと癒えにけるかとかひなさするも

ひぐらしのかなかなかなと鳴きゆけばわれのこころのほそりたりけれ

あなうま粥強飯かゆかたいひすなべに細りし息の太りゆくかも

まことわれ癒えぬともへば群ぎものこころの奥がに悲しみ湧くも

やまひ去り嬉しみ居ればほのぼのに心ぐけくもなりて来るかも

たまたまのうつしき時はわがいのち生きたかりしかこのうつし世に

病みぬればほのぼのとしてありたる和世にごよのすがた悲しみにけり

いはれに涙がちなるこのごろを事更ことさらぶともひと云ふらむか

しまし間も今の悶えの酒狂さかがりになるを得ばかも嬉しかるべし

閉づる目ゆ熱き涙のはふり落ちはふり落ちつつあきらめ兼ねつ

やみほほけおどろへにたれさ庭べに夕雨ふれば嬉しくきこゆ

みちのくに我稚くて熱を病みしその日仄かにあらはれにけり

おとろへし胸に真手までまておく若き子にあはれなるかも蜩きこゆ

熱落ちておどろへ出で来もこのごろの日八日ひやか夜八夜よやよは現しからなく

恣にやせ頬にのびしこわひげを手ぐさにしつつさ夜ふけにけり

うそ寒くおぼえ目ざめしへやは月清く照りかけなくきこゆ

ぬば玉のふくる夜床に目ざむればをなごきちがひの歌ふがきこゆ

かうべ上げ見ればさ庭の椎の木の間おほき月入るよるは静かに

日を継ぎて現身さぶれ蝉の声もすがしくなりて人うつくしも

現身ははかなけれども現し身になるが嬉しく嬉しかりけり

おのが身しいとほしければかほそ身をあはれがりつゝいひしにけり

火鉢べにほほわらひつつ花火する子供と居ればわれもうれしも

病みて臥すわが枕べに弟妹いろとらがこより花火をして呉れにけり

わらは等は汝兄なえおもてのひげ振りのをかしなどいひ花火して居り

平凡に堪へがたきさが童幼わらはども花火に飽きてみな去りにけり

なに故に花は散りぬる理法ことわりと人はいふとも悲しくおもほゆ

とめどなく物思ひ居ればさ庭べに未だいはけなく蟋蟀鳴くも

宵浅き庭を歩めばあゆみ路のみぎりひだりに蟋蟀なくも

宵毎に土にうまれし蟋蟀のまだいとけなく啼きて悲しも

さ庭べに何の虫ぞも鉦うちて乞ひのむがごとほそほそと鳴くも

玉ゆらにほの触れにけれふ蔦の別れて遠しかなし子等はも

いつくしく瞬きひかる七星ななほし高天たかあめの戸にちかづきにけり

神無月かみなづきの土の小床をどこにほそほそと亡びのうたを虫鳴きにけり

うらがれにしづむ花野の際涯はたてよりとほくゆくらむ霜夜こほろぎ

よひよひの露冷えまさる遠空をこほろぎの小らは死にて行くらむ

14 分病室 明治四十二年作

このたびは死ぬかも知れずとひし玉ゆら氷枕へうちんは解け居たりけり

隣室りんしつに人は死ねどもひたぶるにははきぐさの食ひたかりけり

熱落ちてわれは日ねもす夜もすがら稚な児のごと物を思へり

のび上り見れば霜月しもつきの月照りて一本松いつほんまつのあたまのみ見ゆ

赤光 をはり

赤光目次

大正二年

  1. 悲報来(十首)・・・3
  2. 屋上の石(八首)・・・7
  3. 七月廿三日(五首)・・・10
  4. 麦奴(十六首)・・・12
  5. みなづき嵐(十四首)・・・18
  6. 死にたまふ母(五十九首)・・・23
  7. おひろ(四十四首)・・・44
  8. きさらぎの日(十一首)・・・60
  9. 口ぶえ(五首)・・・64
  10. 神田の火事(五首)・・・66
  11. 女学院門前(五首)・・・68
  12. 呉竹の根岸の里(十一首)・・・70
  13. さんげの心(十七首)・・・74
  14. 墓前(二首)・・・80

大正元年。明治四十五年

  1. 雪ふる日(八首)・・・83
  2. 宮盆坂(八首)・・・86
  3. 折に触れて(八首)・・・89
  4. 青山鉄砲山(八首)・・・92
  5. ひとりの道(十四首)・・・95
  6. 葬り火(ニ十首)・・・100
  7. 冬来(十四首)・・・107
  8. 柿の村人へ(十首)・・・112
  9. 郊外の半日(十七首)・・・116
  10. 海辺にて(二十三首)・・・122
  11. 狂人守(八首)・・・130
  12. 土屋文明へ(八首)・・・133
  13. 夏の夜空(八首)・・・136
  14. 折折の歌(二十六首)・・・139
  15. さみだれ(八首)・・・148
  16. 両国(八首)・・・151
  17. 犬の長鳴(八首)・・・154
  18. 木こり(十七首)・・・157
  19. 木の実(八首)・・・163
  20. 睦岡山中(十一首)・・・166
  21. 或る夜(八首)・・・170

明治四十四年

  1. 此の日頃(八首)・・・175
  2. おくに(十七首)・・・178
  3. うつし身(十七首)・・・184
  4. うめの雨(廿首)・・・190
  5. 蔵王山(八首)・・・197
  6. 秋の夜ごろ(廿首)・・・200
  7. 折に触れて(廿首)・・・207

明治四十三年

  1. 田螺と彗星(十一首)・・・217
  2. 南蛮男(十一首)・・・221
  3. をさな妻(十四首)・・・225
  4. 悼堀内卓(七首)・・・230

自明治三十八年至明治四十二年

  1. 折に触れ(十七首)・・・235
  2. 地獄極楽図(十一首)・・・241
  3. 蛍(五首)・・・245
  4. 折に触れ(ニ十首)・・・247
  5. 虫(八首)・・・254
  6. 雲(十四首)・・・257
  7. 苅しほ(八首)・・・262
  8. 留守居(八首)・・・265
  9. 新年の歌(十四首)・・・268
  10. 雑歌(十一首)・・・273
  11. 塩原行(四十四首)・・・277
  12. 折に触れて(ニ十首)・・・292
  13. 細り身(三十五首)・・・299
  14. 分病室(五首)・・・311

挿画

蜜柑の収穫・・・木下杢太郎氏
彫刻・・・井上凡骨氏
通草のはな・・・平福百穂氏
三色版・・・田中製版所
仏頭・・・木下杢太郎氏

巻末に

〇明治三十八年より大正二年に至る足かけ九年間の作八百三十三首を以て此一巻を編んだ。偶然にも伊藤左千夫先生から初めて教をうけた頃より先生に死なれた時までの作になつてゐる。アララギ叢書第二編が予の歌集の割番に当つた時、予は先づ此一巻を左千夫先生の前に捧呈しようと思つた。而して、今から見ると全然棄てなければならぬ様な随分ひどい作迄も輯録して往年の記念にしようとした。特に近ごろの予の作が先生から賞められるやうな事は殆ど無かつたゆゑに、大正二年二月以降の作は雑誌に発表せずに此歌集に収めてから是非先生の批評をあふがうと思つて居た。ところが七月丗日、この歌集の編輯がやうやく大正二年度が終わつたばかりの頃に、突如として先生に死なれて仕舞つた。それ以来気が落つかず、清書するさへ億劫になつた。後半の順序の統一しないのは其為めである。最初の心と今の心と何といふ相違であらう。それでもどうにか歌集は出来上がつた。悲しくも予は此一巻を先生の霊前にささげねばならぬ。

〇平福百穂、木下杢太郎の二氏が特に本書のために絵を賜はつた事は予のこよなき光栄である。そのうち杢太郎氏の仏頭図は明治四十三年十月三田文学に出た時分から密かに心に思つて居たものである。このたび予の心願かなつて到々予のものになつたのである。また、本書発行に就いて予を励まし便利を賜はつた長塚節、島木赤彦、中村憲吉、蕨桐軒、古泉千樫の諸氏並びに信濃諸同人に対し、又『とうとうと喇叭を吹けば』の句を賜はつた清水謙一郎氏に対し深く感謝の念をささぐ。

〇文法の誤の数ヶ所あること。送仮名法の一定せざること。漢字使用法の曖昧なること等は、億劫な為めにその儘にして置いた。本書の作物は今ごろ発行して読んで頂くのには誠に工合の悪いのが多い。きまりの悪いのが多い。併し同じく読んで頂く以上は自分に比較的親しいのを読んで頂かうと思つて、新しい方を先にした。初まりの方を一寸読んで頂くといふ心持である。本書は予のはじめての歌集である。世の先輩諸氏からいろいろ教へて頂いて、もつと勉強したい。

〇本書の『赤光』といふ名は仏説阿弥陀経から採つたのである、書く迄もなく彼経には『池中蓮華大如車輪青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔』といふ甚だ音調の佳い所がある。予が未だ童子の時分に遊び仲間に雛法師が居て切りに御経を暗誦して居た。梅の実をひろふにも水を浴びるにも『しやくしき、しやくくわう、びやくしき、びやくくわう』と誦して居た。『しゃくくわう』とは『赤い光』の事であると知つたのは東京に来てから、多分開成中学の二年ぐらゐの時、浅草に行つて新刻訓点浄土三部妙典といふ赤い表紙の本を買つた自分のころである。そのとき非常に嬉しかつたと記憶して居る。本書に赤い衣を着せたのも其が関係がある。その頃は丁度露伴の『日輪すでに赤し』の句を発見した時分である。考へて見ると丁度春機発動期に入つたころである。それから繰つて見ると明治三十八年は予の廿五歳のときである。

   大正二年九月二十四日よるしるす。

大正二年十月十日印刷
大正二年十一月十日発行
正価金九十銭
著者 斎藤茂吉
東京市日本橋区檜物町九番地
発行者 西村寅次郎
東京市京橋区新栄町一丁目廿一番地
印刷者 佐藤保太郎
発行所 東市市日本橋区檜物町九番地 東雲堂書店
電話本局一八七一番
振替東京五六一四番
版権所有

編集上の注記

以下は編集作業の記録および注記です。底本に記載されているものではありません。

作業履歴

  • 作業開始日:2021年3月17日
  • 入力:2021/3/17 – 2021/4/6(月岡烏情)
  • 入力者による初校:2021/4/6 – 2021/4/15(月岡烏情)
  • 他者による二校:(未実施)

注記

  • 28ページ、底本は「朝日」の漢字に「あさめ」と振り仮名が振られているが、他版を参考に「朝目」の漢字表記に修正
  • 125ページ、底本は「桜実」の漢字に「さ らご」と振り仮名が振られているが、他版を参考に「く」を補い「さくらご」の振り仮名に修正
  • 108ページ、底本は「嘴」の漢字に「くちはし」と振り仮名に見える。
  • 155ページ、底本は「暗黒」の漢字に「あんこ」と振り仮名に見える。
  • 212ページ、底本は「思」の漢字に「おも」と振り仮名に見える。
  • 241ページ、底本は「浄玻瓈」の漢字に「じやはり」と振り仮名に見える。
  • 265ページ、底本は「縄」とあり。
  • 288ページ、底本は「楓」の漢字に「かへろで」と振り仮名に見える。
  • 303ページ、底本は「真手」の漢字に「まて」と振り仮名に見える。
  • 312ページ、底本は「一本松」の漢字に「いつほんまつ」と振り仮名に見える。

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